半月と硝子のブイ

so-net 『半月と硝子のブイ』の再開

『天国の日々』〜マリックのマジック

或る一つの選択。

その歯車が回り出したら、もう元には戻れない。

幾ら悔いても取り返しは付かず。

その選択に悪魔の様な悪意が無かったとしても、人は人を、人の心を弄んではいけないー

実はそんな重いテーマを、何という美しい映像と少女を語り部に置くことで、まるで緻密な筆致の絵巻物でも魅せられた様な感慨を与えてくれる作品を観た。


テレンス・マリック監督の『天国の日々』長編2作目となる1978年の映画である。いずれ必ず観なくては〜と思いながら長い年月、後回しにしてきた作品の一つだった。

さて、いざ観終えた時、深い溜め息をついたのは何故だろう…

あらすじは他の方があちこちで語っているので私はいつも通り勝手きままに私感を連ねよう。

 

先ず、観た多くの方が言われる通り、映像の美しさは類を見ない程である。

それはミレーやワイエスの絵画を彷彿とさせ、淡い光や自然の揺らめきが贅沢な程に、画面に溢れ出すかの様でもあった。 

人物や木々や建造物の配置。特に構図も、色彩も、まさしく上記画家を崇拝していたのだろうか。前半は時に、動く絵画を作り上げた如くであった。ワイエスそのもののカットも随所に見られ、監督であろう其の趣向=狙いを感じとれたりもした。

 

各人の細かい感情の揺れ動きや初々しい演技。台詞は長々とコトバを羅列はしない。むしろ選び抜いた短い会話のやり取りにはリアリティが感じられた。

ストーリーを合間合間に語る狂言回し的な位置にいる妹役の語り部。彼女の存在位置は過酷さや悲しい結末を和らげ、寓話的な引導の役目がとても素晴らしいと思った。

 

なんと本作の20年後に発表された"シン・レッド・ライン"。劇場で観た時に感じたマリック監督の自然描写に感嘆した。切り取り方の妙や、切替の閃きはやはり秀逸であり、独特なリズムがあった。

その間(マ)というか、あえて言うなれば其処には "コトバ無き饒舌さ" があった。

その間を飽きるとするか、観ながらにして瞼閉じるかに思い巡らすか… その違いで本作の好き嫌いが別れる処でもあろうと思う。

後に撮られた"ツリー・オブ・ライフ"では私の琴線を震わす感動は足りなかった。ショーン・ペンもブラピも好きな俳優なのに、喩えば上記の間があざとく感じられ、美しい風景や素晴らしい演技を目の前にしながら、技術を魅せられている様な饒舌さを感じてしまったのだ。

 


映画はテーマが崇高なら響くのでもなく、好きな上手い俳優が演じていれば響くのでもなく、費用や時間を費やせば良くなるワケではない。

逆にそのどれも充してなくても、二度と忘れられない作品が存在してたりするものだ。

それは他の芸術に於いても同じ事であろうかー

 


しかしながら私が先ず驚いたのは、敬愛する俳優の一人今は亡きサム・シェパードの若さ。

悪意に無関係に生きてきたが、余命幾許も無い陰のある若く品のある農場主を演じている。

なんと彼の事実上の大作デビューだったらしい。いやはやファンなのに知らなかった。

 


彼は自らが短編や脚本を書く人間だけあって、役処を知り尽くしている。どの映画でも余分な表情も、派手な動きも作らない。本作でも同様だ。

数々の戦争映画の指揮官役等の彼ではなく、マコノヒー主演の"MAD"や(誰もが好む内容ではないが)隠れたB級良品" コールド・バレット"でのサムの演技=その存在自体が素晴らしいと私は惚れ込んでいる。

やはり余分な表情も動作もしない。なのに深い哀しみや幾多の過去を語る眼差し、立ち姿、あぁ…やはり私は唯彼の大ファンなだけなのかも知れないな…

要はその彼独特の演技が既にデビュー作で発揮されていたのだな〜と感慨深かったのだ。

 


 


もとい映画の題名の出処だが旧約聖書からだそうで。

初まりは妹役の語りから。そして最後もである。

つまりこれは彼女の回想を、映像として紡いだ話であろうか。

天国の日々"を彼女が思い返しているのかも知れない…

 

キーキー娘と揶揄いながら相手をしてくれた兄と、身寄りなき者が預けられる寄宿者にいずれは自らを捨てる兄の恋人と偽姉妹として生きた日々。

過酷な風来でも、時に厳しく時に優しく包んでくれた自然や、三人で助け合って食べてきた日々。

財産や土地はあれど、孤独な農場主 "花をあげたら一生大切にする人" と、偽姉と兄と四人での暮らし。

"決して明かしてはならない秘密" を隠したまま、然し初めて知る衣食住満ち足りた日々。

 

登場人物の誰もが心の中に、不安や不満を抱えていたとしても、いつか振り返る時には…麦の穂揺れる黄金色に輝く日々が其処にはあったのかも知れない。

その麦の穂は、観ている私達一人一人の心の中にもきっと、少なからず揺れているのだろう。

振り返ることが出来るのは生きた証。

亡くなった男二人には、それが出来ない。

 

人の心を弄ぶ企み(行い)をした結果が、予定調和的な結末=『天国の日々』の終わり を呼ぶ。

敵対に位置する男達二人は亡くなる。

偽姉は着飾ったドレスに鞄姿で列車に乗り、その日々と決別する。

それはまるで新しい時代の象徴でもあり、女性のしたたかさや強さを表しているかのシーンだ。

対して妹役は辛い労働の中知り合った(やはり身寄りの無い)女を"大切な親友"と位置付け、朝ぼらけに二人で脱走を図り、風は強いであろう何処かへ宛なく旅立つ…

 

本作は分かり易い寓話でもあり、長編の詩の様でもあり。

けれど私はきっと文字など書かない(もしかしたら書けない)妹役が、胸の内で呟いた回想記を、美しい映像の魔法で聴かされた…そんな感を覚えたのでした。

 

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