半月と硝子のブイ

so-net 『半月と硝子のブイ』の再開

秘密の梯子

  『秘密の梯子』

 

秘密が強くする

熱の在る秘密

 

きっと話してはいけない

名も無き者の悦びは

名も無き者の哀しみは

 

言葉はツールに過ぎず

沈黙に答えは宿る

 

君は

底の方に問いかける

 

 

梯子を探し

君の梯子を登れ

君の

秘密の梯子を

 

秘密の

君の梯子を

登れ

 

 

 

 

2005年作。

当時、私は離婚を前に息の苦しい毎日を送っていた。

"此処ではない何処か"へ行かなくては、思い切って場所や仕事や形を大きく変えなくては、新しい人生を歩めないと思った。

「極端に環境を変えて、今まで避けて来た異なる世界に飛び込まなくては、やり直す事など不可能だ」とハッキリ考えが行き着いていた。

"もう一緒にやっていけない"から離婚するにしても、私にとっての離婚はそれくらいに何もかもから離れなくてはならない程に行き詰まっていたのだ。

 

然し、それに向かっての毎日は、目標に向かい"100%の迷い無き邁進"などである筈はなく。

時に頭か胸かの何処かで、他人を羨やみ、他人を恨み、されど常に己の不甲斐無さや我儘さというのか(云い換えれば自分の駄目さ)を内側から観ているもう一人の自分が居て。そのやり取りに疲れ果ててもいた。

 

そこには、怒りとも嘆きとも違う、息を吸ったり吐いたりという生き物として普通の行いすら難しくなる様な、出口の無い時間の積み重ねだけがある様な気がした。

当然、相手も辛かっただろうし、間に挟まれた娘には申し訳ないとしか言い様が無かった。

それは10数年が過ぎて今尚、読んで字の如く、言葉で言い訳や説明をした処で済まない=代償を払い切れない試練を与えてしまった事実に対し、背中から外せない十字架の様な感覚を抱えている。

 

娘は、その後も一年と空けず多い時は一年に何回か長い時は1ヶ月位、私の元へ訪れて笑ったり怒ったり泣いたりしてくれた。

そんな娘が居たからこそ、今の私がこんな文を記す事が出来ている。

小学6年生だった娘が私が送った地図と説明だけを見て一人で何時間もかけてバスや電車を乗り継ぎ、待合せの場所に現れた時、泣きながら私に向かい走って来た姿を一生涯忘れはしない。

頭の中にあるその映像が私の宝物だ。

 

 

既に大人である私の選択に因って、私自身がいかなる試練にも耐えなくてはならないのは仕方ない話であり。

然しここまでの並大抵ではない浮き沈みの10数年、これ程努力した経験は過去無かった様に思う。

だが望まないにも関わらず被害を被った娘の努力や成長にこそ、素直に称賛を述べたいし感謝をしている。

父親である私が努力して来れたパワーの源は、娘が頑張って生きている事実それ自体であったのだ。

 

敷居は跨がせないと言われ以降寄り付いていない我が実家。

一時所持金が全部で三万円となり、消費者金融から仕方なく借りたが雪だるま式に増え、一時期は100万を越えて驚愕.…その返済。

正直生き物の雄としての性的な捌け口が、気持ちの上に於いても経済的な理由に於いても満たされない事。

気持ちが一瞬足りとも安まらないというのか、出口の全く無い心境にも陥ってしまった。

因って日雇いをひたすら勤めているだけの毎日はいつしか、身体は疲れていても寝付けなくて。眠っても夜中にうなされて起きたり、夢ばかりみたりして異常に眠りが浅く、如いては不眠症となり薬に頼りアルコールに頼り。

あらぬ考えばかり頭をよぎるので迷った末に精神科にも通ったりした。

(その頃の夜の散歩の話は以前『暗い夜の白い雲』に記した)

 

 

その後ある晩、忘れもしない深夜の病院の待合室。たった一人で私はピンクの公衆電話を見つめていた。

建設現場で踏み抜いた釘が因で足裏が膿み、長らく放っておいた為に脚全体が浮腫んで破傷風手前で入院する羽目となったのだ。

どうしても尿瓶にオシッコが出来なかった私はトイレに起き、その帰りに点滴の管をつけたまま脚を引きずり、何故か待合室に向かった。

非常灯の薄明かりの中、飲み物の自動販売機のモーター音だけが響き、私はソファーに座りながら不図、悟ったのだ。

 

最低だと。

このままでは自分は駄目になる。正直、男として格好悪すぎるとも思った気がする。

入院は誰にも連絡出来なかったから、誰も私がそこに居る事を知らなかった。

で、今の私を必要とする人なんか居ないんじゃないかと、心の底から"サビシスギル…"と初めて思った。

 

それは、幼い頃の仲間外れや、青春期の失恋や、芸術や自然の大きさを前に我が存在をちっぽけと感じる様な漠とした寂寥感などではなく。

"消えいってしまいそうな自分の存在"みたいな…謂わば恐怖にも似ている感覚だった気がする。

 

時間にしたら数時間だったかも知れない。

その何処までも続いているかの真っ暗闇みたいな中で、あらぬ想いの押し問答の末、いつしかぼぉーっと浮かんできたのが娘の顔だった。顔であり姿であり、声だった。

私がどんな状態どんな状況でも、私を必要としてくれている紛れも無く唯一の存在。

たった一人だけでも、娘が居るじゃないかと。私が名付けた娘が。両親が別れた悲しみに耐えて頑張っているじゃないかと。

極当たり前かも知れないがその真実に行き当たったのだった。

それと同時に、否次にはこんなコトバが浮かんだのだ。

 

「ここが釜の底だ」

 

我が人生のここが釜の底だ。

本当にそう思った。

そんな言葉が浮かんで、涙が溢れて止まらなかったのを覚えている。

 

 

この度これ以上は書かない。決して書き切れるものでもない。

唯、私はあの夜をもう一度書き留めておきたかったのだ。あれから数えたら14年が過ぎた今、再び仕切直して前を向く為に書いてみた。

 

『秘密の梯子』とは…

誰にも言えない、言うことでもないし、言葉にはし切れないし、言葉にした処で何も変わらない、テメエでカタをつけなくちゃならない、自身で黙って登らなくてはならない"道"というか"時間"に名付けたのかも知れない。

 

それは誰にでも待っている筈だ。

多かれ少なかれ、人生はそうは甘く無い筈。だから誰にでも待っている梯子だと思う。

 

黙って待っている梯子。

黙って登って来て、私は底から登って来て、今日という極普通の日常を過ごせている。

それでも日々の生活には不安や焦燥やマイナス感覚も常に裏にある。

けれど娘も無事大学を卒業し自活し早数年が過ぎ、過酷な仕事を頑張っている。

私も新しいパートナーとも既に9年目、その人は純粋で明るくいつも一所懸命で清々しい。色々あるが娘以外で唯一信用出来る他人だ。

だから、私も前を向いて未だ頑張る気で生きていける。

 

秘密の梯子のおかげだ。

諦めず黙って登ってよかった…

本当にそう思う。

 

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