半月と硝子のブイ

so-net 『半月と硝子のブイ』の再開

私もまた、シムラー

驚いて言葉が出なかった。突然過ぎて…

 

テレビを持たず観ない暮らしを始めて10数年、彼の姿は時にスマホの記事内の写真か動画で目にする位で。然し今改めて思うに…

彼は僕の恩人の一人でもあったのかも知れない。存在が当たり前過ぎて、改めて想う事無く過ごしてここまで歳を重ねて来た自分が居た。

 

幼い頃の我が実家、或る意味で厳格な親父は私達兄妹が自由にテレビを観る事を禁じていた。動物番組かNHKや教育テレビ以外は観る事を許さなかった。

その分、絵を描いたり工作したり本を読む時間が出来た事は今となっては感謝すべきなのかなとも思う訳だが。でも当時は違った。

中でも土曜の夜8時の6チャンを見逃すなんて恐れ多い!

翌週登校したクラスでの自分の居場所は、その番組を観たか観なかったかでおおよそ決まっていたからだ。

特に病弱で小学3年位からまともに登校し出した私はその番組を観て、画面に穴が開くほど集中して観て、彼らの真似をして笑いを獲る事によって、クラス内での居場所を確保していた様に思う。

 

長さんの"8時だョ、全員集合〜っ!"のダミ声は今なお耳の奥に蘇る。

カトちゃんの"ちょっとだけょ〜ん…"は子供なりに溜めた間(ま)が大切。

"イックシュん!"とわざとらしいクシャミは堂々とやるのがポイントだった。

志村とカトちゃんのヒゲダンスは照れずにノリ良く動き回る事がポイントで、7つの子の替え歌は端折って".かーらーすーなぜ鳴くのー、からすの勝手でしょ〜〜"の部分だけを最後は必ず数人参加して歌うもんだったし。

 

彼らをバカだなぁ〜なんて思って"志村っ!後ろ後ろっ!"なんて、判り切ったオチを想像しながら画面に向かって呼びかけたり。

次に展開する回り舞台にドキドキしながら、時に少しエッチな分だけ背伸びした気分を味わいながら、学校や家庭での嫌な事も何もかも他を忘れて観入ってたもんだ。

 

ブラウン管テレビの前、半分正座みたいな直ぐ立ち去れる体勢で、怖い父親の足音に耳を澄ませながら、右手人差し指で飛び出たスイッチボタンに触れつつ、横には5歳下の妹が膝に手を置き同じ半分正座みたいな…(笑)

平日はもっとずっと遅い帰りの父親が土曜に限って8時過ぎに帰って来るか来ないか微妙なサイクルで…(苦笑)

玄関のドアノブがガチャガチャ鳴ると直ぐさま、否しぶしぶ、凄くすごーく後ろ髪引かれながら、プチっとスイッチをOFFにしてテレビの前から立ち去る…

 

でもバレるのだ。

消すのが一歩遅れると必ずバレるのだ。

当時のブラウン管は消しても暫くほの明るく、周りの空気はかなり温かく…"

"また観てただろっ!"(親父の低い怒鳴り声)

その部屋から逃げて退散しながら、いつしか謝りもしないし。無視して暫し静かにしながら、頭では番組のその後の展開を想像していただろう。否、その後の志村やカトちゃんのギャグに想いを馳せていただろう。

 

子供の頃、あれほど観たかった番組は無かった様に思う。あれほど子供が観たい番組を観せない親で、代わって遊びや学びを一緒に楽しむ体験があったなら私の記憶は又違った色合いだったろう。

子供の頃、近しい大人からの影響は大だ。親や親戚、次が教師や近所の大人、その次に影響を受けた大人が彼らドリフターズだったし、中でもカトちゃんと志村だった気がする。

 

今考えれば、帰宅を嫌われる父親も可哀想だが、いつも威張って怒るばかりの裸の王様そのものな彼は大嫌いな大人だったし、それに対して…いつも色んな役になり変わり、ズッコケて笑わせてくれて少しエッチな大人のカトちゃんと志村は大好きだったのだ。

それが、子供というものだろう。

 

 

突然逝ってしまった志村けん

この肩か背中辺りにか張り付いている寂しさは、なんだか増すばかりだ。

 

いずれ自分もあの世に行った時は彼らのドタバタを好きなだけ観たいと思う。

今改めて私もまた、"シムラー"だったんだなぁと痛感している。

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