半月と硝子のブイ

so-net 『半月と硝子のブイ』の再開

『エレファントマン』〜後ろの向こうの方

当時、池袋で教育実習生と観た。
当方は生徒だったから奢られた。17歳の誕生日プレゼントだった。
五歳上の美術系女子大生H.S.姐さんはワタシには怪しく(妖しく?)艶かしく、Hな感覚でしか眼に映らずだった。
併し本作の強烈なインパクトには打ちのめされた。
館内で直ぐ隣りから漂う若い姐さんの匂いにも増して…
怪しく(怪しく?)て、恐ろしく。
艶かしく、湿っていて…
正直、興奮した。

何故なら、それまで知ってきた世界とは明らかに異質な世界が、暗い館内でスクリーンに映っていたのだからー

 

映画館を出て、路上テーブルの店でラーメンを食べながら彼女は言ったんだ。
"なんか一緒に観る映画じゃなかったネ〜?"
どうだった?と尋ねられたからワタシは
"(ストーリーには)驚いたけど、嫌いじゃない。"とか何とか答えた筈だ。
未だ未熟で自分のコトバを持たない若僧な己が恥ずかしかったーその感覚を覚えている。


あの日あの夜、彼女と観た本作に因ってワタシの中で何かが変わったのは確かだ。
言い換えたならば〜本作を彼女と観たあの夜から、我の中で何かが壊れ、何かが弾けたと思う。社会性を保った告発や或る啓示や記録的要素等といった解釈ではなく、謂わば表現としての初体験。因ってワタシの内側の何かが芽を噴いた夜だった。

謂わば真面目に勉学に勤しむ学生ではなく、"ROCKとJAZZと映画"と"セックスとアルコールと煙草"のメビウスの輪的日々のスタートを切ったのは…なんとリンチ作品に因って〜だったのだ。

今にして思えば、年上の彼女は見抜いたのかも知れない。本人も含め、ワタシに対しても確信犯だったとも感じる。

 

その後、彼女とは辛い別れを経験した。

その後、別れは何回も経験したけれど、初めての相手であった彼女との別れは生涯つきまとうかの…

青く赤く、苦く甘く、ずっとずっと遠去かり続けてはいるのに今この時もお腹の中に張り付いている様な、忘れられない思い出だ。

 

当時ワタシは未だD.リンチを知らない。監督名や脚本家等を意識する感覚もあまり無かっただろう。ひたすら其の表現の表出させ方にノックアウトされたまま過ごしていた。

以降、視聴対象の尺度や触覚が変化したのはたしかだ。

 

 

童貞喪失の記憶
或る時期迄のマザー・コンプレックス
陰や暗や虚の方へと
螺旋に惹かれる感覚

それらの源を辿れば
岩清水の初めの水滴は
山裾の虚構の毒家に落ち

その流れの少し先の滝壺には
池袋の蒸し暑い夜に
象男が鎮座している

 

 

前述は、現代の様にインターネット等が普及してない時代の話だ。
電車内で一部の会社員がどデカい携帯電話を受信機ごとショルダーバッグ式で下げていた時代の話だ。
ネット検索ではなく、自らのチョイスでもなく、出逢ったヒトとの関わりの内に流れから偶然に観た作品。
その一本が後の人生にずっとずっと、確かな色合いの"影を落とす"事があったりする。

それは善悪や明暗では分けれ(計ら)ない事だし、個人の経験の中に鎮座しているから先ず容易ではない。
作品の出来不出来や比較や評論はしないし関係ない。当時の自分が観て胸に刻まれ、唯そのままでいいと思っている。
或る時期までは"片付けよう""片付けなくては進めない"と抗っていたから、結局は楽しくはなかった気がする。
その事に気付いてワタシはきっと楽に成れたし、同時に或る"若さ"というものを失くしたのかも知れない…なんて思ったりもする。

 

自分にとって『エレファントマン』を観返す事は容易ではなく。
あの日以来、鑑賞していない。
リンチ作品であるか否かや、ストーリーの背景も(申し訳ない稚拙な表現に成るが)ワタシにはあまり関係無い。

 

 

その後20代後半に本州を放浪した際、九州高千穂の或る家に数宿数飯お世話になった時の話。

最後の夜だったか、元ヒッピーの奥様は笑顔で言われた。
"アナタはガンプの様な人だわ"


その時は"?"だったし、ワタシは突如の隕石落下発言には先ずは黙ってしまうタチだから…
でもずっと考えていた。納得出来ないなら、心の中では何と返したかったのか…?


"いいえ。
エレファントマンだと思います。"

だろうか…

 

 

そういえば…学生時代、国語の教科書に高村光太郎だったか或る詩に立ち止まった。
正確な記憶ではないかも知れないが、次の様な節だった気がする。

"ぼくの前に道は無い ぼくの後ろに道は出来る"

 

どうやら、我の"後ろに続いている道の向こうの方"には "エレファントマン" が静かに居る。

 

f:id:GeminiDoors:20220920113432j:image