半月と硝子のブイ

so-net 『半月と硝子のブイ』の再開

釜の底 1/3(『赤目四十八瀧心中未遂』に想う)

久々の連休に『赤目四十八瀧心中未遂』を観た。 初回と2回目は15-6年程前、3回目は神奈川の西に居を移してからだったと記憶。つまり今回で4回目の視聴だと思う。何故、観たくなったのか…多くの映画作品の中、何故コレを今選んだのだろう…考えていたら様々思い出してきた。

 

元々が初見から小説の読後だった。原作者の車谷長吉作品は何をきっかけとして出逢ったのかは忘れてしまった。
然し30代後半から40代前半にかけてだったか、己の内側の最も奥の方で蠢いていた謂わば自分の暗い部分に触れたのだと思う。あの頃の私は暇をみつけては彼を読み漁った。

先ず短編集『金輪際』次に『漂流物』を読み、打ちのめされた。「同時代にこんな小説家が居るんだ…」と、なんというかある意味で安心した様な記憶がある。

拙い表現でしか私は表せないが彼、車谷の綴る言葉には強い魔力があったのだ。

時に荒く、時に汚く、まるでおぞましい程に泥々と綴られた重い流れからは、(文字にしたらば)"匂い"ではなく"臭い"が立つかのリアリティに感じられ。繰り返し読まずにはいられなかったのだ。

 

 

当時自分は離婚後。

誰に言われたでもなく己の不甲斐無さというか、言葉にすれば"失敗者の烙印"みたいな自責の念に囚われていた。

借金返済と養育費と、何よりその月の家賃を払いライフラインが止められないだけの料金を確保した残り…暦で割れば1日千円に満たない額と成り。食費をもやりくりするのに苦心する生活、そこから抜け出せずにもがいていた。

思い切って上京し都会の建設現場で働きながら、なるべく過酷で日銭の良い職を求めて流れていた。つまり私自身もまた車谷の云う処の"漂流物"そのものだった。

元が大工なのだから大抵の肉体労働には食らいついてゆく気概はあったし、肉体的に楽な職よりは手足を動かして汗をかきながら己の身体一つでどこまで稼げるのか…一度は試してみないと自分の人生は甘い所で終わってしまう様な気がしていた。

 

"二つに道が別れていたら大変そうな方を選べば人は必ず強くなる"

ーそう教えてくれたのは誰だったか、果たして本の教えか…今となっては忘れてしまったが、2年半に及び迷った末の決断でもあったから決して後には引けなかったのだった。

そうして当時、私は自身を出来る限り追い込んで、物質的な条件に於いても謂わば"背水の陣"に向かったのだと思う。

男、四十にして"振り出しに戻る"とは、今にして思えばなんと無謀でなんと身勝手な暴挙であり。

然し、あの時はああせざるを得なかったのだった。

(2/3につづく)

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