半月と硝子のブイ

so-net 『半月と硝子のブイ』の再開

VOICE

『VOICE』

 

夢の中

子供の声で呼ばれた

何処か遠く

ここではない 何処かから

君に話せば笑われてしまう

のろまな僕の足跡の蓋を

 


天から声が降りて来る

夜の天井より深く

ここではない 何処かから

他人に話せば忘れてしまう

のろまな僕の胸の耳が

 


アナタの声が染みている

開けて視れない奥の方

たしかにここに この内に

歌にすれば忘れない

だけど内から色褪せてゆく

 


歌にすれば忘れない

歌に出来れば 溶けてゆく

僕も 君も 包まれる

黒く 白く

紅く 青く

混ざって 溶けて

褪せてゆく


いつか…

砂や 土や 海や空の様に

声だけ

静かに残される

 

 

上記の詩は2009年作。

 

先日、燃える様な夕焼けを見た。

不吉さも超えて何というか…この世ではない入り口から吹き荒れる焔の様で。

煉獄の西方へ、私は"ごめんなさい"と謝ってしまう気持ちになっていた。

 

幼い頃、父方の今は亡き祖母は箸の持ち方や、他人を羨むな妬むなを諭してくれた。

年中着物の和装人で、何故なら小唄の師匠を生業としていた。

しかし"おさんどん"の食事のどんなおかずにも醤油を垂らすので、私の母は影でいつもしかめっ面か無表情に近い悲しい顔をしていたのが気になって仕方がなかった。

 

私が早くから転々とし、離れて暮らしていたものだから、その間に生まれた我娘が二歳になる頃に祖母に初めて会わせる事が出来た。私自身6-7年会えずにいて久方に会う祖母は以前に増して小さく、結えてる髪のハリツヤもかなり衰えていた。

 

それ以来数年会えないまま、次に会った祖母は棺の中でキュっと閉めた様な口元にヤケにどぎつい紅を引かれていた。

私の孝行は唯一、彼女にとっての初孫に会わせる事が出来た…それだけとなってしまった。

 

きっと、今年26歳位にはなるのだろう娘は覚えていないだろうと思う。

 

 

ボケて尚、精巧な人形作りに一日中取り組んでいた曾祖母の直角近く曲がった背中。

父方祖母が爪弾く"チントンシャン"の三弦の音色や唄声、銀鼠や鶯等の和装の微妙な色合い。

はたまた母方祖母が、寒く暗い台所で豆から作る最高に美味いおはぎの味。

 

携帯電話もパソコンも仮想通貨も無かった昭和に生まれ、昭和中に10代で実家を飛び出して彷徨ってきた自分。

あまりに彷徨い過ぎて、先立つモノも確固たる自信も未だに蓄えてはいないのだが…

 

どうやら祖母達からは、記憶や感覚という財産を貰っていたみたいだ。

今頃気がついた。

 

ごめんなさい。

 

f:id:GeminiDoors:20210206211214j:image