半月と硝子のブイ

so-net 『半月と硝子のブイ』の再開

君は必ず知るだろう

 『君は必ず知るだろう』

 

蒔いた種の何れかが

水と熱に起こされて

やがて色白の芽を出す

誰に教わる事無く 天に向かう

そして

暗い土の中では 既に何れかが

声も出さずに死んでいるのを


いつの日か

君は必ず知るだろう

 


緞帳が上がり 稽古の通りに

企画の舞台は進む

自身の脚で立つ実感に 天を仰ぐ

そして

閉幕の後には 深い寂しさが

見た夢の終り無き定めかと

 

いつの日か

君は必ず知るだろう

 


白い病室で やせ細り意識も遠のいて

うわ言を話す隣人に会う

果物の色が悲しく 天に祈る

そして

帰りの道では 今この一瞬が

残り時間の確かな一部だと

 

いつの日か

君は必ず知るだろう

 

知るだろう

君は

 


 


2005年の作。

あの頃は日々およそ4時間の睡眠を確保するのに精一杯で、思えば我の精神は病んでいた。

週に1日は休んでいたが、食料買い出しや溜まった洗濯や家事を済ませば、夕方から就寝にかけて1〜2時間の自由時間を保つのに苦心していた。

その際に文や絵を書いたりする時、精神は(喩え秋の高い空の様には澄み渡らなくても)少なからず自由に枝葉を広げていたのだろう。

誰に向ける事もない行為は、図らずも自身の均衡をとっていたのかも知れない。


上記の『君は必ず知るだろう』だが…

 "虚しさ"を主題にしたワケではないし、決して後ろ向きなワケじゃ、ない。筈。


唯当時の身辺で、書いてある通りの事や思わぬ色んな事が続いて起こり、その時の自分が"確かにその様に感じた"のだった。
そして、(早川義夫氏的に言ってしまえば)自分が「犯罪者になってしまうのではないか」と、このままでは「あぶない」と思う程に内向し、不安で仕方が無かったのを思い出す。

(今、必要があり昔のノートをめくる内にこの詩に立ち止まり、不図回想の旅に出てしまった…)

 

きっと“自らのドウニモナラナサ” を鎮める為に書いたのだろう。

“自分と自分が生きている社会とのギリギリの調和を図る” 為にも、この詩を書いた。のだと思う。

 


当時より10数年という時間のレールを私は我武者羅に歩いて来た。

他人から時には走ってる様に見えたかも知れないし、時にはカタツムリの歩みに見えたかも知れない。

私自身、いつまでこんななんだろうと望む変化の無さに辟易した時期もあったし、想定外で想像不可能な展開に足掻いたり呼吸困難になりそうな時期もあったものだ。

 

かなり白髪も増えた。

でも少し筋肉も増えた。

お腹周りに肉もついた。

でも色んな事が絞れる様にもなった。

でも、やっぱり、色んな事に迷い逡巡の日々は続いている。

 

今、私はあの詩をつくったその感覚を活かしているだろうか?
今、私は知り得た気がした何かを何処かに置き忘れてはいないだろうか?

プラスの方向に昇華させているだろうか?

 

本日、申告の為の経理大詰めで現場はアケ。大雨のち晴れ。予報では最低最高気温差17度。

洗濯物がゆるい風に揺れている。

そろそろ鼻の奥がムズムズしてきた気がする。

春未だ来。

 

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