この作品、好み過ぎてなかなか文が書けなかったのだった。過去何回観たか覚えてない。見てくれや表層事象ではなく、主人公ガブリエル・バーンの立ち位置や精神の流離いと咆哮というか…兎に角、コチラ好みの琴線真ん中をダーツで射抜いてくる。
"ミラーズクロッシング"とはその森、その土地の字名なのかも知れない。何回も鑑賞してきたが、ワタシは未だに調べようとはしてない。
けれど、複層的な自我や、各々の歩んできた道の交差ポイントみたいな意味として、とても素晴らしい題名だと感じられる。
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もはや世界的に有名なコーエン兄弟のひねくれ加減やシュールな演出ははやくもコノあたりの作品に型どられてはいるが、この作品は一風何処かが異なる気がする。
本作品は禁酒法時代の古きギャング達の至極ニンゲン的な、否、唯の独りの男を中心とした愛憎劇としてこそ秀逸な脚本だと云えよう。
観る側が、激しいドンぱちシーンや説明的な大上段から構えた台詞を望むならば、そうは楽しめないかも知れない。
併しいつの時代であれ、どんな枠組みの中でどんな役割を担う立場であれ、腕力より知恵…そして図らずも情を潜ませた一人の中年の彷徨い(右往左往と云った方が正しいかしらん)を味わえる感覚が有るならば、きっと観終えた時には静かな満足が得られよう。
大好きな怪優タトゥーロも果てしなくどうしようもない男を名演してる。
芸達者なマーシャ・ゲイ・ハーデンもタトゥーロ姉役で与えられた役を見事にこなしている。名優アルバート・フィニーは弱味有りのボス役で、老いて尚も燻銀の輝きだ。
だが然し、肝心の主人公G.バーンはと云えば、まるで饒舌ではない。寡黙だ。其処が良いのだ。
しかも時に泣きっ面に蜂的に落魄れた姿を晒す。
彼が寡黙な分、観る側は彼の心の中や物語の行く末に想いを馳せるのだ。
外で、特にワタシが従事している第一次産業の様な仕事中にも、口から生まれた様な所謂お喋りが居たりする。その様な暇さえあれば口を開く輩は、兎角己の頭脳が切れると内心で自負していると感じたりする。
併し違うと思う。どちらかと云えば、いざという際に無責任な場合が多い。
つい、映画から話が逸れた。(苦笑&反省)
単にお喋りが嫌いだから、主人公の寡黙でありながら人間味溢れる渋い演技に痺れるのかも知れない…そう云う訳だ。
そう…本作等は、ながら美味いラム酒かストレートジンを味うかに観守るしかないだろう。
高い酒ばかりが決して美味い訳ではないのだから。
お子チャマにはワカラナイ味わいがこの作品には漂っている。
"ミラーズクロッシング"……
時過ぎて尚、ワタシは素敵な題名だと感じている。
己の中の森の小径。
吹く一陣の風に、軽く落ち葉が舞い上がる。
黒いハットがふわり、ふわり。
そして、コロコロと転がってゆく…