半月と硝子のブイ

so-net 『半月と硝子のブイ』の再開

『座頭市』〜落ち葉は風を恨まない

勝新は別格である。

パンツにマリ○ァナやコ○インの話じゃあない。

「悪名」シリーズは先に自害した田宮ではなく彼が居たから成り立つ。
刑事物でも何でも彼は彼、きっと全てがアドリブな勝新
そこに、ひたすら"The 勝新"が居るのだ。

 

やはり"勝新と云えば座頭市"と思う輩は多いと思うが、実は私もその一人に他ならない。出演作を色々観ても好みの問題かも知れないが、座頭市の匂いの立ち方が一番だと思う。

 

シリーズの中でも三船との一騎打ちも格別だが、他の座頭市フリーキーがなんと評価しようとも、シリーズ最後の『座頭市』が私は一番好みだ。
第一娯楽味わい的に観やすい。

 

脇役の蟹江敬三内田裕也ジョー山中陣内孝則も、そして片岡鶴太郎もみんなみんな良き良き味わいを出し切っている。ハマり役、適材適所の配役と思われる。

中でもマドンナ的な女親分の菩薩=樋口可南子の色気はなんなんだ〜である。


昔、私は彼女の若き頃の篠山紀信撮影の写真集をドキドキしながらアルバイト代で買い求めた。
夜な夜な随分とお世話になった10代後半を思い出す。(照笑)

彼女と座頭市の風呂場での絡みを観た時、私は真面目な話、大人の女性の色気とはこの様に匂い立ち、目眩を呼ぶのかとため息をついたものだ。
それこそ菩薩の御姿である。
本作初めて観たのは20代だったか…未だ青かった己をしみじみと思い出す。


然し、しかし!
本作で一番の記憶残りは、流れ者の緒形拳なのだ。
"落ち葉は枝を恨まない"だったか…違ったか…彼の台詞だ。
彼の語りや立ち居振る舞い、飄々とした姿は、演出を超えて素晴らしかった筈だ。
だからこそ主役の勝新が生きたし、脇役の牢仲間の鶴太郎や老いた三木のり平の"生き方"が物語の中から立ってくるし、解り易い陣内と内田と勝新の実息の対立が浮かび上がってくる。

 

緒形役の人生も又、市の人生と重なる"孤独の礎"が有り、たしかにそれが切ない迄に交差するから…
だから、観ている我々は彼らの終わり=別れ方が読めるだけに "期待出来ない期待"をしてしまう。
これこそが「座頭市」の醍醐味かも知れない。

 

大盤振る舞い。
お決まりの大団円。
敵味方共にある陰日向。
その隙間に、勝新と緒形。
この二人の組み合わせ、配役は唯一本作のみであろう。

 


永遠の旅の途中で瞽(現代は禁語か…)の市が、優しさと刀を振るう…
それはシリーズ全体の常套と知りつつも、たまに観返したくなる味わいが本作にはあると私は思う秋深まる今日この頃。


"落ち葉は風を恨まない"


皆さま、潔く生きましょう^_^

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