(2/3からのつづき)
何年続けたのだろう…
建設現場のスラブ上で転び錆びた釘を踏み抜いて放っていたら赤紫に腫れ上がり、手術の為に入院する羽目になった。
2年程が過ぎた頃だったか、原因不明の利き手の小指下側面の血管に瘤が出来る病気になり掌が自由に動かせなくなってしまい、検査続きの末に手術した。あの時は利き腕全体の麻酔だったから生活の何をするにも困り果てた。
現場に出れば、そこは納期に追われ捲る鉄筋屋と型枠大工の一色触発の戦場だった。あの緊張感、あのハードさは経験した者にしか決して解らない。
男なら一度はあの世界に身を投じて耐えてみるのも良いかと思う。人々が何気なく使う施設や建造物は、似たり寄ったりはあれど、総てあの一色即発の闘いの上に出来上がってゆく。
その事を、"頭ではなく身体で知ることは大切な事"かも知れないと、時が過ぎた今でも思う。当時の自分が働いていた環境を思えば大概の辛さは乗り越えられよう。
彼処で働いていた者たち皆が、何かしら背負いながらだった筈だ。黙って手足を動かして、必死に働いていた。誰もの眼は鋭かったし、ルールを守らない輩は直ぐ切られた。
当時の現場職人の必死さに比べたら、今現在周りに関わる若者達の働く姿勢なんて話に成らないし、正直言って比較も出来ない。第一、「必死にならなきゃいけないですか?」と逆に冷静に言われそうだ(苦笑)
閑話休題。しかし当時は度々重なる問題に気が滅入り、仕事以外では段々とアパートに引き篭もる様になってしまった私。
働いて泥の様に疲れてもなかなか寝付けず、ついには不眠症と成り。あまりに辛いから内科で相談して、睡眠導入剤を処方された。が次第に効かなくなり、アルコールの量ばかり増える一方で、食べ物の味はどん分からなくなっていった。私は元来食べる事が大好きだから、食べても美味しく感じない事はかなり苦しい事態だった。
数年の間には一寸した出逢いもあったし、何人かの女性とも付き合ってみたりはした。しかし心が底の方から震える事はなく、当時の私に優しくしてくれた方には申し訳ない話だが、きっと私は閉じていて…常に上の空だった気がしている。閉じていたくせに他人の優しさや肌の温もりだけを欲していたのだろう。
借金と、私ら両親の問題に巻き込まれ辛い立場に居る娘と、何より己を賭ける"生き方"を未だ見つけていないー要はまるで自信の無い自分。そんな自分ばかりに覆われて、結局は総てが上の空で過ごしていた気がする。
それでも自暴自棄にならなかったのではなく。挫けなかったのではなく。
素直に育ってくれている娘との年に1-2度の触れ合いや、唯一信頼し切れる友K.との触れ合いを頼りに、自分自身に言い聞かせながら生きていた。何回か消えてしまおうかとの思いに囚われたり…挫けながらだったけれど、私はどうにか底を生き抜いたのだった。
*
あれから10数年の月日が経ち、現在も前を向いて歩んで居られるのは、正しく当時の私を見放さずにさり気なく接してくれた娘と親友の存在があったからこそであり。
もう一つ…暗闇の向こうに私が"見ていた(見ようとしていた?)何か"の存在があったからだと思えて仕方ない。
"それでも生きるんだ。這いつくばって、汗や涙や泥まみれで、みっともなくとも、はしたなくみじめでも、どんな迷路でも、歩くんだ。やめちゃいけない。ギリギリでもいいんだ。命は捨てちゃいけない…"
そんな手助けを教えてくれた車谷長吉作品は或る磁針であり、或る指矩だ。直喩ではない文体の語りから、逆説的に、私のギリギリの底のラインを押し留めてくれた気がするのだ。
*
さて、本題に記した作品『赤目四十八瀧〜』の"匂い"なのだが…
"臭い"と書いた方が良いかも知れない位の"匂い"は、何なのだろうか…
私はいつか何処かで、知っている気がしてならないのだ。
或る底辺に蠢き、静かにもがきながら生きる人々を描きながら。
茹る夏の強い陽射しによって出来た寧ろ濃い陽陰。
揮発し、漂いながら、観る者に目眩を与えてくるかの様だ。
墜ちた場所でもがいた経験。
運命の罠に導かれる様に流れてしまった覚え。
あなたに、そんな"釜の底"に居た経験があるならば、この映画を観てあなたは静かに唸るかも知れない。
この"匂い" 知ってる と。
匂い立つ小説。
匂い立つ映画。
匂い立つ輩。
…最近なかなか出逢えてない。