半月と硝子のブイ

so-net 『半月と硝子のブイ』の再開

ボッシュしゃっは、ベーコンろざりお

映画『謎の天才画家 ヒエロニムス・ボス』を配信動画を契約する以前、某レンタル店の棚に並んだ途端に借りて観た。日本語表記ではボッシュ或いはボッス等と書かれてきたが、本作に於いてはボス。正確な発音を知らないからワタシの中ではボッシュ

ヒエロニムス・ボッシュ

ブリューゲルと比較引き合いに挙げられるケースが多いが個人的には何故だろうボッシュに惹かれる。 既に廃刊になり久しい厚さ12ミリ程の日本編集版の画集を昔、お茶の水古書店で2000円代で見つけた時は喜びのあまり、静まり返った店内で思わずガッツポーズした覚えがある。

しかし当画家との出逢いは遡る事数十年昔… 己の高校時代にピストルズが"勝手にしやがれ"を発表し、ワタシも当然の如く学園祭では"アナーキー・イン・ザUK"等を演りながら、一方でレインボーの(元ディープパープルのG.であった)リッチー・ブラックモア以外の激しいメンバーチェンジを気にしつつ、やっぱり"ツェッペリンが一番だよ"と知った口をきき、クリムゾンもウェイツも未だ知らない10代後半の青い頃の事である。

 

 

ある日、軽音部なんかには入らず完全なる帰宅部だったF君と仲良くなった。彼は木造二階建てアパートの一階にお姉さんと暮らしていた。隣の世帯に母親が暮らしていた。その日、彼から"僕は中近東地域とか興味があってペルシャ語とか独自に勉強しているんだ"等、当時ワタシには浮かびもしなかった幾つかの話を聴いてかなりショックを受けた記憶がある。学内のクラス内だけでは計り知れない彼の独自性、同い年ながら興味の鉾先の違いに驚き、多いに刺激を受けたのだった。

その彼の部屋で初めて聴いたブラックサバスの一枚のLPジャケットがなんとブリューゲルの絵の一部だったのだ。編集版だったと思う。Fはかなりの曲者、見た目ならラーメンズの片割れ(長髪爆発頭の方)みたいな奴だった。

初めて聴いたサバスのサウンド、他とは完全に異なる引き摺る様なリフの応酬、そのミディアムテンポに一発でノックアウトされた。合間って、ワタシはその日からジャケットの絵が誰の筆によるものなのか気になって仕方なく…

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そこから7-8年程だったか、が過ぎて次の出逢いが高円寺のカビ臭いアパートの自室だ。

D.ホッパー出演作品を追ってレンタルビデオ(VHS)を借りていたある日、ホッパーがアラン・スミシー名義で自ら監督主演した作品"ハートに火をつけて(別題"バックトラック")を見つけて喜び勇んで鑑賞。

そして劇中、なんと彼が自宅で生演でアルトサックスを吹くシーンで暗闇の背後の壁にあった絵画がなんとボッシュだったのだ。 たしか…薄暗い部屋で彼がおもむろに吹くサックスの短いながら咽び泣く様な音色が鳴り響き、背後にオーカーや黒に近い緑や点在する赤の妖しいボッシュの絵画…そのシーンで背中に電気が走った。 スイッチが入り、どうしてもこの二人の作家の他の作品を観たいし!少しでも人物を知りたいし!と成り後日、急ぎお茶の水に馳せ参じた。

インターネットなんて知らない、パソコンなんて持ってない時代だった。

 

 

ちなみに彼の一枚一枚は或る意味で大作、複雑な構成と精密さと色の深み、その制作に投じた時間を鑑みたらば超大作なのだが、それぞれの作品自体はその割に小さいことに驚いてしまう。そして寡作も寡作。 こんなに少ない作品数で後世まで、世界中で刺激を与え続けている画家も或る意味珍しいのではないだろうか。 手法的な話題としては、この時代に彼の様なピンク=桃色を多く使う(下の色と混色或いは塗り重ねて作り出す)者は居ただろうか…?

彼の描く題材や絵柄ばかりが注目され話題に上がりがちだが、彼の技術に於ける"基本の王道"と、逆に"挑戦的な冒険"も眼を見張るものがあるとワタシは思っている。

 

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そして、ボッシュやベーコンは踏み絵でもあった様に思う。ワタシの歴史上では。

例えば過去に交際した女史は皆それぞれ絵画なり音楽なり映画なり各々の好みをしかと保っていたが、知り合って初期の会話の中で画家の話等になった場合にゴッホゴーギャンピカソが大好きと云う方は何故か居なかった。他意なく語ればパウル・クレーシャガールが好きと言われれば、ワタシも広く様々な画家の様々な絵が好きだし(ワタシはどの様な作者に対しても作品一つ一つで好みが激しく別れるから)誰か一人の名を上げる訳ではなく。然し、抽象ならカンディンスキーとか、時期ならウィーン世紀末辺りがお気に入りなんて耳にしたらば、こちらも多少は声のトーンも上がるというもの。ソコは自分も好きだし"イイよね!"とばかりに話を盛り上げたりした筈だ。

 

ところが時が過ぎ、互いに食や趣味趣向や癖の部分が表出してくる頃、何かの拍子にワタシがボッシュフランシス・ベーコンを敬愛する胸を話したりすれば… お察しの通り大概の方が引いてしまう。先ず大概が知らない。知らなくて画集など覗けば、それはもうドン引きものだ。画集を開いたとて、精々パラパラと飛ばしてゆく瞳は完全に幕が降りかけていた様に思う。"凄いね"とか"面白い"と口にした輩も中には居たが、後には間を置いて必ずや "ワタシは駄目だなぁ"が付いてきた。

それでもそんな他愛もないやり取りが互いの人生を左右したり、男女の仲が壊れてゆく訳ではなかったし、それはその時々に於いては大した問題ではなかったのかも知れない。なかったかも知れないが不図思う。

あの時点で判っていたのかも知れない…

長く苦楽を共にし、深淵を共に覗き込む互いではなかろうと。

 

 

先述ボッシュとベーコンは踏み絵と述べた。

人間の"七つの大罪"どころか、有りとあらゆる愚かな行いをこれでもかと擬人化擬態化して描き込んだ彼の絵画を視て、我々はコレは何だろう?何に見える?と考えたりする。精密な何かを前にした時に我々はつい、全体から感じる匂いとは又別に頭であれこれと考えてしまう。

だからボッシュ絵画は云うなればロールシャッハ・テストだとこじ付けよう。

対してベーコンの絵画の殆どは、どデカいキャンバスに対象は大概が一人もしくは1匹や1肉の塊。そして何がどう描かれているのか不明な、精密には程遠く、時に捏ねたり引き伸ばしたり削り取った筆跡からは、我々は視てはいけない何か深い淵を覗いてしまったかの怖れ(畏れ)さえ感じてしまう。一人の人間や一つの対象の、決して抗えない本質や本性、業みたいなものをえぐり出したかの絵。その悪い夢を見ているかのベーコン呪縛の暗さ重さの向こうに、我々は時として逆説的な神みたいな何かを感じていたりはしないだろうか…

だからベーコン絵画は試される絵踏みではなく、畏怖をもって祈ってしまうロザリオだとこじ付けよう。

 

だから今回の題は"ヒエロニムス・ボッシュ=ロールシャッハ・テスト&フランシス・ベーコン=ロザリオ"。 略して"ボッシュしゃっは、ベーコンろざりお"(…ってことでお後はよろしい?)

 

ちなみにー

現在まで10年続いているパートナーはワタシから初めて両者の作品を知り、"好きだなあ"と初めて宣(のたま)う輩である。

淵を幾つか視て来た人だから、そうなのかも知れないと想っている。

 

ボッシュしゃっは、ベーコンろざりお。

ボッシュしゃっは、ベーコンろざりお。

 

呪文みたいだ。

 

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