我の青い春に重なり、好きな俳優達が目白押し。誰も彼もがあざとくはないサービス満点の演技をしていて、自分にとっては別枠的に南十字星みたいな作品。
監督ジュリアン・シュナーベルは自らが画家であり、作品の好き嫌いを越えたアプローチの迫力は相当なもの。現役画家だけあって劇中の作品群は設定上のバスキア作品から展覧会場に掲げられた当時のアーティスト作品から全ての監修レベルは非常に高い。
中でもバスキアが初めのアトリエで制作途中の物や画材等、他の展示会場の設営風景等、あまりのリアルさは関係者なら感心以外は無い考証だ。
それは又、監督がバスキアと同時代を生きたアーティストであり、ライバルであり何より友であったからこそだと思った。
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彼ジャン・ミシェル・バスキアが亡くなった後位に、我が国ではバブル絶頂期のPARCOがキース・ヘリングを宣伝に使用し、街中でやたら見かける時代…10代の私は実家を出て都会の片隅の暗いアパートに暮らし暗中模索していた。
当時の私はドアーズとジョン・レノンに心酔し、バンドを演りながら、劇画や絵を描いていた。
成就した恋の初めのデートでバスキアの真似をした訳ではないが(流石にテーブル上ではなかったが)白い皿の上でソースを使い箸で絵を描いて見せたら、彼女に「育ちがバレるからやめてよー」と眉間に皺寄せられ笑われた記憶がある。(苦笑)
年月が経ち、現在暮らす地方から六本木ヒルズで催されたバスキア展も観に行ったが、誇大宣伝の割に作品の展示形態や照明も扱いも粗雑ぞんざいで悲しかった。
それは決して彼の作品の"ストリート性へのリスペクトからの演出"ではなかった。ただ単にテナント料金が高く、宣伝や企画ばかりに重きを置き、肝心の展示にプロフェッショナルさが足りなさ過ぎるとしか感じられず。係員のお姉さん達はトウシロも良い処で、賑わう土産物コーナー?とレジにおおわらわでしかなく。あんな最低な美術展は初めてだった。ついでに、やはり前澤は嫌いだナと思い溜息が出た。
一言、この国に於けるブームが哀しいばかりだった。
その日、最上階から見下ろした都会のどこまでも灰色の建造物の海も、それなりに歳も重ねてしまった私には溜息しかなく。
過ぎた何十年かの時間と、繰り返される人間の愚かさ等を想った。彼が描こうとしたものは何だったのか…
彼の夭折や、ジャンルは違えどジミヘンやジャニスやモリソンやマーク・ボランや魔の27歳辺りに星に成った先人を想ったりした。
あの時代に己の才を出し切り、散って逝った彼らを未だに何処かで意識している我が居て…下りるエレベーターの大混雑の中でなんだか目頭が熱かったものだ。何故だろう..."都会に来るのはコレが最後かな…"と思っていた。
私は17〜27、40〜43歳と二つの離れた時期、東京で暮らしていた。合わせて14年間に及ぶ東京暮らしだったが、とうに離れ久しい。なのにあの日、何故か六本木ヒルズで私の東京卒業式は済まされた気がしている。
それに気づいていたのか、何を考えていたのだろうか、横に居た現パートナーは黙ってくれていた。
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こんなレビューは"映画とは関係ない"と云えばそれまで。だが、本作品には或る懸命に生きた者の哀しさと輝きが有り、その光と影は残された私たちにとって貴重な鏡なのではないかと感じてしまう。
仕事や、家族や、夢見や、自惚れや、失恋や、失敗や、堕落や… 云うなれば少なからず"人生の浮き沈み"を体感した者ならば、本作品を観て損は無いだろうと思う。
芸術に絡めとられ、出口が無いかの暗闇を体感していない者であっても、懸命に生きたジャンという純粋な男が問いかけてくれよう。
君は懸命に生きてきたのか?
君は懸命に生きているか?
南十字星がこちらを見つめている。