半月と硝子のブイ

so-net 『半月と硝子のブイ』の再開

NICK CAVE のドキュメンタリーを観て

ニック・ケイブ
トム・ウェイツ
レナード・コーエン
(七変化的な発声で)デビッド・ボウイ
etc. 

彼等の低音ボーカルが好みだ。

彼等は皆が内省的な消化を、時にプライベートごとドラマチックに、そして創作の上では其々独歩で築いてきた人たちだと思う。
所謂売れ線メジャーからは一線を引き、分かり易さや見た目を一番に求めるリスナーをさておき、作品の深さや完成度だけを追求し続けてきたと思う。

その辺りはある意味で歴史や文学や映画や、つまりは彼等の音楽以外の凡ゆる事象を知れば知る程に、そして悦んだり打ちひしがれたりの経験振幅を広く積む程に、理解は深まると共に受ける感動も大きくなってゆく。

何故なら彼等は広義的な意味での"ロック音楽という形を選んで表現している"に他ならず。表出させてくる音や言葉はそれぞれ異なれど、偉大な詩人として共通のパルスを発してくれるのだ。

 


或る意味で美しいメロディや時に迫り来るグルーブを、寓話的な歌詞を、独り聴き入る時…それが(たとえ思い込みに他ならなくとも)"我のこと"して捉えられた瞬間で、人は重なる想いに溢れて感動に震えてしまう。

 

ニック・ケイブに『 The One That I've Been Waiting For?』という曲がある。終盤12小節ほどだがたった1回だけ出てくるメロディがある。そこで次の様なコトバが歌われている。

O we will know,won't we?

The stars will explode in the sky

O but they don't,do they?

Stars have their moment and then they die

 

私はいつの頃からかこの曲のこの部分を聴くと他人には聴こえない溜息をつく。否、深呼吸して息を止める様に耳を澄ます場合もあるかも知れない。

いずれにせよ以前の記事『釜の底』で書いた"底から見上げていた夜空"を思い出すのだ。一瞬でその時の気持ち、その頃の自分に出会う。怖いほどに一瞬で。

それは切ないとか、悲しいとか、楽しいなんて言葉では説明出来ない、多色混じり合った或る感動でもあろう。

だから私はこの曲を"いつでも"は聴けない。大切だから、心して聴く曲に位置する。

 

 

何を観ても何を聴いても、感じ方は私達各々の過去の歩みがそうさせるのだとするならば…例えば彼の音楽を聴いて内側が震えるのは、聴いた私の歩んできた過去の歴史に響き、共鳴していると云えるのかも知れない。

その共鳴の先か、上の方からか、例えば劇中でケイブが云う"神のようなもの"が見ているのかも知れない…と不図思うのだ。

神のようなものは時に私たちを突き放す。突き放して落とし込める。

そして時に安らぎを与え、見えなかった事や物を見せてくれる。

しかし又直ぐに見えなくなるように…


"存在"は解釈や感じ方で変わる。
彼等が音楽を通して外に表出させてきた(させている)何かとは、色々な"神のようなもの"ではないだろうか…

 

劇中、ケイブが一番怖れることは"記憶がなくなること"だと答える場面がある。
時に人は辛い体験を片時は忘れないと前に進みにくいもの。なのに彼ら真摯なアーティストは総てから目を逸らさず、何度も噛み砕き、昇華させる為にエネルギーを注ぐ。
この撮影の後に彼は最愛の息子を事故で亡くす。劇中で一緒にピザを食べていた彼だと思う。
そして彼はまた作品に昇華する。

 

勇気が要る事だ。
自分の未だ未だ甘さに閉口。彼の音を前に、時に目を閉じて平伏してしまう。

素晴らしいドキュメンタリーを魅せて頂いた。

コーエンもボウイも逝ってしまった今、私は今後もニック・ケイブに陰ながらエールを送りたいと思う。

 

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