『Gemini』
おしゃべりは銀 沈黙は金
我のものさし 我の胸
我の天秤 我の胸
揺れ惑う両端の
いつもうるさい二人の自分
一人がいつも 黙って視ている
もう一人が低く 耳元で囁く
やらないで 満足かい?
やってしまって 平気かい?
そんなで一体 どうするんだい?
本当にそれで いいのかい?
我のものさし 我の胸
我の天秤 我の胸
*
2006年作。
"Speech is silver, silence is golden."との謂わゆる諺を知ったのはいつだったか、何に因ってだったかは既に忘れてしまった。
"雄弁は銀、沈黙は金"と訳すのかーそれは前回載せた『秘密の梯子』を "黙って登れ"に通じるとも言えようか。
コトバにするかしないのか。
或いは、やるかやらないか。
右か左か。或いは上か下か。
その様な二者択一の輪郭が明確な選択ではなく、その間や隙間に浮かんでは消えたり揺れたりする"迷い"を含めて、私達誰もの毎日は "常に何かしらの選択を迫られている"とも言えようか。
それは誰もが自分の生涯という"有限の時間"の中で、一人ぼっちだけで存在し活動しているのではなく、少なからず学校や会社や地域や足元としては家族や仲間といった何かしらの関係性の中で活動しているからでもあろう。
そこでは必ずや規則や体質や、納期や目標があり。だからこそ色々な場面場面で個人としての選択を求められ続ける。
そして個人個人の生活の今日一日に於いても、コーヒーにするかお茶にするかに始まり、今トイレにゆくかもう少し我慢して取り組んでいる作業のキリをつけてしまうのか等々、小さな選択の積み重ねで誰もが時間軸を進んでいる。
なんとなく生きてるとか、嫌々やっているとか、冷めた意識や怠惰な姿勢や鬱的な状態に於いても、私達誰もが(意識するかしないか別にして)自らの選択で事を進めている。
仕方なく〜とか、やむを得ず〜とかの前置きや言い訳付きの場合も、なのだ。
周囲や風潮や他からの圧力に流されて来た意識や自覚をもっていた処で、他人の意思や選択で私達は今此処に居るのではない。
ところが私自身は…
ハッキリそう自覚出来たのがとても遅かった気がしている。
双子座のAB型な為か資質的に常に揺れ惑い息苦しさを感じて来たが、前記の様に "全て最終的には自らが選択した結果なのだ" と強く意識出来る様になった事で、その分は精神的にはとても楽になった気がしている。
誰のせいにも何のせいにも出来ない事を知ったのだ。
親や教師や先輩や上司や会社や地域や政治や国や…いつも何かしらに愚痴り責任逃れしていても、考え方の足元は心許ないから余計に息苦しかったのだと思う。
足裏27cmでフラつくのは、決して星座や血液型のせいじゃなかったのだ。
気付くのが遅過ぎたか…
"否、そんなことはない"と言い聞かせている私は双子座のAB型(-。-;