何故だろう…映画『アメリカの友人』の発光は数十年という時を経て今なお私の胸で続いている。
20代前半に深夜TVで荻昌弘解説で名画劇場番組で初見。同時期のヴェンダース作品で映画館で観た"パリ・テキサス"や"ベルリン〜"より胸が騒いだ。
あれから数十年が過ぎ、世の中も自分自身もかなりの変化があって尚、本作はマイ・フェバリット・ムービーに於いてベスト1の座を譲らない。
然しその間にデニス・ホッパーもブルーノ・ガンツも逝ってしまい、気づけば私自身が憧れていた頃の彼らの年齢をも越そうとしているではないか!嗚呼…時の流れの無情さよ!
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この映画作品は、誰もが心酔し感動に打ち震える等という代物ではないと思う。
例えば "デビッド・ボウイのグラム脱出以降ヨーロッパに籠りブライアン・イーノ達と名曲『heroes』を作った時期を「貴重」で「素晴らしい」と感じてしまう輩" ならドンぴしゃな作品だと思う。(具体的過ぎるか⁉︎)
何というか… "隠遁迷走時に隕石衝突で静かに衝撃発光したオンリー1" みたいな作品って感じなのだ。
先ずお子様や精神的未熟児なオトナの方には、この "虚構なリアリズムに彩られたピークを過ぎた男達の友情と孤独" は解る筈もないだろう。
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何故かならぬ敬愛して止まぬデニス・ホッパー。
彼が長らくハリウッドを離れていた時期の俳優人生に於いて過渡期の名演もさることながら、脇役陣の豪華さよ!
そして全編てらいの無い演出演技。
ドイツの曇り空の下に引きのアングル内の赤、黄、青等の画面内の導入から配置。
子供やワーゲンや幻灯機風オモチャや洒落た小道具。
贋作画家の使う青い絵具や額縁工房内での金箔の美しさ。
各所にさりげなく散りばめられたキンクスやビートルズ歌詞の暗喩etc…
個人的には好きにならずに居られない要素は実に多いのだが、何よりパトリシア・ハイスミスの原作を元から知るからこそ、実は三話から一つの脚本を仕立てここまで押し付けがましくはない寓話的サスペンスに仕上げたヴェンダースに脱帽してしまう。
逆に本当に一人で仕上げたのだろうか?とさえ思ってしまうのだが、この時期の彼には出来たのだろう。
その後の作品を鑑みても、監督の鋭気と技術が一番乗っていた時期なのは確かだと個人的に断言してしまおう。
デジタルな加工画像もリアリティ欠乏のお手上げ展開や演出も皆無で、ヴェンダース作品に於いてもある意味で過渡期の傑作ではないだろうか。
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ちなみに原作を知れば判る事なのだが、ホッパーが演じる謎の人物リプリーとは、"太陽がいっぱい"の主人公トム・リプリー、彼なのだ。あの名作の"その後の彼"がここに密かに踠き生きているのだ。
過渡期のリプリーが此処にストーリーを導く重要性なファクターとして蠢いているのだ。
劇中、彼がひとりカセットテープに日記として自らのコトバを吹き込む(録音する)シーン(部屋からベランダへ動きながら)がなんとも言えず……
まぁ、なんというか個人的に愛してやまない名シーンの一つだ。
リプリーよ!
嗚呼ホッパーよ!
永遠の反逆児らに合掌。