初見は20代前半。以降10年に一度位の頻度で観たくなる。長尺の為、そしてラストへ向かう深淵を心して、そう安易には観返す踏ん切りがつかない。けれど自分の中の映画ベスト10の7〜10位辺りに必ず君臨する作品だ。
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出兵前に皆で山へ鹿撃ちに行く。
軟派なカザールに対しデニーロが強い口調で告げる。
諭しているというより、己に言い聴かすかの重い呟きだ。
"This is this"だったか…
それは、その後の展開を一言で表していた台詞だった様に思う。
それは、話の上では戦時下に於ける運命の歯車の無常さや無情さであり。
然し、いつの時代、何処の国、どんな者に於いても少なからず重なることでもあり。
本作に於いて"ロシアンルーレット"は脚本の道具や具材であり、戦争映画として観た時にはー人間性まで破壊してしまうーその恐ろしさを戦場場面ではなく教えてくれた。映画史に残る名場面であろう。
そして本作を何回か観ていると、私たち皆がルーレットは言い過ぎかも知れないが、時に抗えない(運命という名の)ゲーム盤上に居ることに思い当たる。
"運命"という言葉は命に運を被せて記す。
コレを"命を運ぶ"と読めば是、私たち一人一人の人生が当てはまる筈だ。生きることは命を運んでいることに他ならない。
デニーロはハンターであり。ウォーケンもハンターであり。私たちもハンターなのである。
相手を撃つのか、自らを撃つのか。
引き金を引くにしても、引かないにしても、皆が己の人生のハンターなのだと思う。
This is this. 弾は一発なのだ。
命も一つ。
(ちなみに本作の公開待たずしてカザール本人は他界している皮肉。真実、命を懸けて主役達を引き立てる傍に徹した事に成る。)
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初見より数十年が過ぎて尚、そのシーンの美しい景色や、才能溢れる俳優達の表情や台詞と共に、斯く言うデニーロの声が強く脳裏に刻まれている。
どなたかもレビューで書かれていたが、ダラダラと気怠るさもある前半は、畳み掛ける後半の為にある。解ってはいても何度も観返す度にこの長尺さは正直堪える。
それに初見時は己が若くて青かった為、ラストの"ゴット・オブ・ブレス"を誰彼ともなく歌い出すシーンがどうしても理解出来なかった。
また、何回か観て改めて気付いたシーンも多い。
だが、本作を名画と言わずにいては罪だろう。
そして"本作のデニーロ観ずして彼を語るべからず"だろう。ゴットファーザーとは違った意味で丁寧な演技をしているし、俳優人生で正に頂点に向かう昇り坂にある彼、身体も表情も引き締まった彼、私には彼が輝いて見える。
映画の神が居たならば、その神とやらが"降りてきていたのだろうナ"とさえ感じる本作に於いてのデニーロやウォーケン。
彼らの表情と共に、きっと私の中で一生残っているだろうと思う"This is this"。
人生の分岐点で迷ったら、この場面を思い出してきた様に思う。
そして今、ここにこうしてとりあえず居るのだろう。