半月と硝子のブイ

so-net 『半月と硝子のブイ』の再開

『ロストリバー』〜底の方に在る町

何か一つの対象作品に向かい、私達は本当に真っ白な感覚で掴み取ることはなかなか… "言うは易し行うは難し"というもの。

どんな尺度をもって向かい合うか?

どんな比較で相違や引用に気付いて、はたまた教えや刺激を見つけるのか?

それは、一人一人が生きて来た過去の経験から染みついてしまった秤や、今現在の状況や体調にも依るのだろうー



ライアン・ゴスリングはワタシには今ひとつ鼻につく俳優だった。なんというか以前は気に入らなかったのだ。なんてこたあない、過去に短期間お付き合いした女性が彼の猛烈なファンだったのだ。

彼女はナルシスの塊みたいな人で私はとても振り回された苦い記憶が。別れてからトラウマ的にライアンの顔を観ると苦い気分となり、だから彼の出演作を避けてきた節があるのだと思う。

ライアンからしたら至極迷惑な話だろう。(笑)

然し少なくとも本作『ロストリバー』を観てからというもの、少なからずいずれ魅せてくれるだろう次回監督作品を期待してしまう立場へと変わったのだ。

勝手なもんだぜ!ワタシは言う。

「ライアン、やるじゃないか!」

 

 

作風がニコラス監督や他から影響大であろうが、他作品から韻を踏んでいようが、ワタシにはこの際関係ない。誰でも知るピカソだって自他作品の"模倣と解体の実験の連続"だったのは誰もが知る処だ。

完全なるオリジナル等、この世には或る意味では無いと思う。

先ず、そんな厳しい目で秤って観てしまえば、あらゆる映画も、絵画も、音楽も、つまらなくなってしまうではないか⁉︎  そう思ったりする。

皆、誰もが作品にオリジナリティを出そうと模索する中で、基礎も、骨格も、化粧も、全てがオリジナルな作品等は皆無だとワタシは思うのだ。

 

以前、敬愛するミュージシャンS.亜紀がインタビューに対し次の様な内容を話していたのをよく思い出す。

"一曲一曲の発想は時に暗闇でポッと灯りがつく様に、所謂降りて来る時もある。併し作品として仕上げてゆく段階は、地味な模索の連続で、自己嫌悪との葛藤みたいなもの。最後は帳尻合わせ的な処は多分にあるのです"と。

ワタシも創作に於いて暗闇に佇み、息がしにくい時期がこれまで何回かあった。だから、この言葉には多いに納得が出来たのだ。そして、かなり救われたのが事実だ。

 

映画のあらすじや細かい部分はレビューサイトで色んな方が書かれているから割愛。

唯、多くの人が前述に記した様な見方で、本作品に対して厳しく批判的な意見を書かれているのを読んだ時から、ではワタシは本作が何故に好きな一本に値し、何を其の"内側に視ているのか"を、観終えて数年自問して来た。(前置きが非常に長くなってしまった…。)

 

 

先ず、話の根底にある"失われゆく街"の描写。

どうやら本職の業者が実際に住居を解体していたり、実際にその地を離れてゆく一人の老人を出演させたり、リアルさを保って幾つかの描写が鋭く胸に刺さってきたのだった。

 

昔、ワタシは故郷を捨てた。

飛び出した際に捨てるつもりはなかったのだが、39年間離れたままなのだから結果そうなのだ。

後、いつしか実家は転居し、つまりはワタシには帰省する故郷は無い。

そして、その町の辺り一帯は圏央縦貫道のジャンクション建設によって、或る見方をすれば"人々が通り過ぎるだけの町"と化してしまった。

その地には空中を旋回する化け物の様な高速道ジャンクションを支える巨大な足、要はコンクリートの塊柱だけがそびえ立ち、辺りの景観との調和もへったくれも皆無な、それはそれは異様な風景と成っている。

現在も其処に暮らしている人達には申し訳ないが、所謂"死んだ街"といった表現が浮かんでしまうのだから…一言で言えば凄く寂しく、そして悲しい。

現在、時にその近くを通り過ぎる際に目に映る景色をなんと云えば良いのか…ズバリ、社会から置き去りにされ、何処か"忘れ去られた様な日陰の街"である。

 

そんな変わり果てた故郷を抱えた自分にとって、原風景みたいなモノはもうこの世の其の地には存在しない。あくまで胸の奥深い部屋にしまってある。

だからかな、本作前半は非常に目に沁みる映像であったのだと思う。


それともう一つ。

ワタシは当てもなく放浪したり、渓流竿を忍ばせてアチコチの川を遡ったりした時期があった。その中で、幾つものダム湖や溜池に出逢ってきた。

美しい天然湖(池)や観光ボート等で賑わう湖もあった。逆に臭気漂うダムもあれば、人も寄り付かない地図にも載らない様な場所に濁った水も在れば、一瞬目を疑うかの澄んだ水鏡の様な湖も在った。

 

その記憶の内で20数年前の旅の途中、G県の或る湖に架かる橋の上で私は立ちつくしていた。見下ろした景色に唖然となり言葉を失っていた。

 

その年は日照りが続く記録的な雨不足の天候で、川を堰き止めたダム湖の水位は極端に下がり湖底が丸々とハッキリと見えていた。

なんと其処(底)には村が見えていたのだ。

道があり、壊されなかった建造物が点在し、ニョキニョキと木の電柱が立っていた。

田んぼか畑だったのか、土地が段々に区切って形作られた跡があり、遠くには赤いポストらしき物まで見えた。

より低くなっている土地にだけ池の様に水が残り、強い日差しに照らされた水面がギラギラと輝いていた。

 

それを見た時…マァ今になっての表現になるが、一言で"怖かった"のだ。

複雑な気持ちに胸が詰まる様な…

想いが溢れそうで、ワタシは欄干越しに呆然としていたのを思い出す。

 

 


話戻してー

本作は映画の或る象徴として、湖の底に街が沈んでいた。

主人公の青年は一人小さなボートで真夜中の湖に漕ぎ出す。すると…

水面から突き出た死んでいる筈の街灯に次々と灯りが点く場面がある。

広く深い暗闇に、なんとも云えない灯りが点々と映し出される。

あっ…と思い固唾を呑んだ時、観ていてワタシは涙が出そうになった。

何故だったのか…

 


それはストーリー上で感銘を受けたからと云う訳ではなく…きっと、前述した"忘れ去られた街"…つまりは、自分の幼き日々や、過ぎて遠くに追いやってきた場所と時間を想ったのかも知れない。

其の既に届きはしない"過去という場所と時間"に、思わぬタイミングでポッ、ポッと灯りが照らされたーそんな気がしたのかも知れない。

 


 


干上がった湖に現れた村。

赤いポストや電柱。

もう誰も歩かない道。


変わり果てたワタシの故郷…しかし地名は変わらず、たしかに地図に載って其処に在る。

だが、今この時も高速道路で空中を走り行くドライバーの多くは足元の下、"底の方に在る町" を意識はしないだろう。

起伏の多いその町の、峠や丘の名前も知ることは無いだろう。

沢山の小さな山を抱えたその町に、今も流れる幾つもの川の名を知らないだろう。

 

避けていたライアンの初監督作品『ロストリバー』。

そんな想いからなのか…世間の評価等は全く意に介さず、ワタシには大切な映画の一本なのだと思っている。

 

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