フレンチトーストを作る時に思い出した作品。実際に我が身に同じ事が起きてからは観る機会が無い。"機会を設けてない"が正確かな。
この世には、明るい離婚の経験者もいるだろう。
ワタシは現在は或る意味では幸せだが、離婚当時は人生最悪の暗雲たる砂漠に立ち尽くした。
何年間か泥流に呑まれ、息をするのも苦しい波が来た時もあった。
島に渡った。
本土に帰った。
街を離れ、地方で手に職を就けた。
その世界で取れる資格は順に取り、8年半を堪えて独立した。
こんなに時が早く過ぎ去ったのは、怪我や借金や創作活動を一旦諦める決心からの"悔しさ"に依る謂わば"背水の陣"であったからだろう。
ストイックなまでに全ての照準を仕事に向けてきた。
子供は離れて暮らしているが、優しい娘だからずっと仲良く、泣いたり笑ったり怒ったりしてくれている。一言で感謝しかない。元気で居てくれたらそれでいい。それしかない。実は難しいことだから。
悩んだ事は過去も多々あったが、あの闇には二度と迷いたくはない。
本作品『クレイマー、クレイマー』のテーマでもある"離婚"とは、そう生優しいものではない。予想や気構えなんてものを、遥かに超える深い淵だ。
少なくともワタシにはそうだった。
色々な事をそれまでになく深く考えさせられた。特に己をとことん見つめざるを得ずだった。何につけ他人のせいにしていたら前に進めないからだ。
考えに考えて紆余曲折あって16年という月日が過ぎ、今こうして働けているし、食べ物を美味いと思えるし、空の雲や鳥を眺め、風に季節を感じたりして元気に居られる。
本作も又観てみようかなとも思ったりしている。
否、今更観ないかな…
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どんな映画でも未経験と経験後ではかなり印象が違うだろうし、事の次第は時代や一つ一つの現実とは異なるものであろう。
この題名、つまり二人のクレイマーを想う時、ワタシはコトバには尽くせない荒れた野に放り出されてしまう。
その様な作品を含めて、この世に映画という文化が在ることに改めて感謝する。
気を抜いて楽に観ようとして逆に撃たれて驚くこともあれば、期待して観ても呆れて時間ばかり気にしたりすることもあるだろう。
けれど、誰もが"限られた人生の残り時間"の中で、娯楽を求めて後、それまでの思考や感覚を遥かに越えて深く突き刺さる作品に時として出逢えたら…
真剣に向き合えばこそ、それは素晴らしく代え難い財産に成ると思ったりする。
大切なものは兎角、今現在の目には見えない。