今回のアップは先月の某日に病院待合室で書き始めた。帰宅して一息ついて読み返し、着地点はどう書いて良いものかと悩んだ次第…
直接に本人に言うにはタイミングもあろう。
関係が近いとつい馴れ合いから、すれ違う場合もあろう。だからかな、今を書き留めておこうかなと思ったのだ。
年始から色々重なり、実に疲れた春だった。
しかし、体調が悪くて萎れているのは私ではないのだ。
我がパートナーは病気や怪我等と無縁の女性だったが、去る正月1/2に、完全なる不注意からナント!手首の骨を折ってしまった。しかも利き手の右手首を、だ。彼女自身は介護職員という仕事柄、長期に渡り休まざるを得ず、勿論マイカーの運転も出来ず。
痛みのピークは過ぎ、一所懸命明るく振る舞ってはいるが、悔しさに打ちひしがれていると思われ…
1ヶ月も過ぎた頃、ギプスがそろそろ外せるか否かの診察だった。ところが其の時点で判ったのが、掌が完全に有る程度からは開かないし、親指に全く力が入らないのはおかしいと云う事態。
改めて手の専門の整形外科有する遠方の大病院に転院。
再び診察したのが実に今回だったという訳だ。
CTと診察で結局の処は腱も切れているのが判り、これから先の移植手術の様々な段取りを悩んでいる。
手術内容は3箇所を切り開き、動いている健常な鍵の一本を切り取り、動かない指の切れている鍵の両端と繋ぎ合わせるというもの。所要時間として3時間の予定らしい。
全身麻酔で及ぶ為、手術前日からの入院で術後経過を診るのもあり全部で3泊4日の日程だという。
なんとまあ…予想より大事であったから、二人で慌ててしまった。
私は送迎付き添い役だから待合時間はかなり有り、普段は既にあまり思い出さない過去等に想いを馳せたり…
病院は嫌いだ。悲しい経験の方が記憶に刻まれている。好きな人は居ないだろうけど。
大病院だけあって、ロビーから廊下からトイレから色んな患者にすれ違うから、普段は考えないことを考えてしまう。
*
さて。かく言う私自身の話なのだが…
年中が自然相手の仕事柄、どうしても怪我が多い。
中でも5年程前の怪我は生涯背負っていかなくてはならない程に後にまで響くものだった。
山の上部数十メートルの斜面が崩落した。その際ゆ落下してきた大岩の破片(人の頭位の塊)の幾つもが跳ねながら飛んできた。
運動神経はある筈の私は咄嗟に等高線に逃げ出したが、追いかける様に跳ねてきた岩の内の一つが見事に右脚に当たってしまった。
大腿四頭筋の一本を挫滅。殆ど右脚が動かなくなってしまった。
書いてみると信じられない話だが、こんな事が実際に起こるのが林業なのだ。
あまりの痛みに一時(5分位だろうか)気を失った。気付いて我に返ってから事態を理解した。そこからが地獄の痛みだった。時刻は夕方3:30位だったか。
離れて仕事していた同僚に見つけてもらうまでの30分位、車も入れない山の中で倒れたまま、私はあんなに内心動転してジタバタしたのは初めてだったかも知れない。
未経験の激しい痛みと、脳内を巡る"出口ナシみたいな感情"に、謂わば"絶え間ない冷や汗の地獄"を味わったのだった。
一時期は医師に"元の様には歩けない可能性"を告げられ、お先真っ暗な気持ちに苛まれたものだ。
併し、ライフワークの創作を激減させてまで(否、実際には数年間は新しい仕事を覚えて先輩に着いて行くだけで精一杯だった)過去の人生を大きく方向転換して会得した山仕事。
其処に戻る以外、結局は考えられなかった。
悩む中で、一度は他の職の情報を得る為に職安にも出向いたりしたのは事実だ。
だが、色んな差し引き鑑みても結論としては自分にとって"林業は或る意味で天職"なのだと知るに至ったのだった。
生活の糧を得る仕事で天職と感じた事は、10代後半からアルバイトや社員で幾多の職に就き働いてきて実に初めての感覚であった。
この仕事以外、家族との(否、勿論自身の) 生活を "前向きに維持する精神" は自らには産まれないだろうーと、怪我の療養の中でハッキリと考え至った訳だ。
あの時は "得る為には捨てる" 必要を明確に考えた。あの時、迷路から抜け出た様に凄くシンプルに定められたのは何故だろう…
皮肉な話だが、それこそ崖っぷち迄自分を追い込む必要があったのかも知れないナーと今になって思う。
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当時、受診したのがかなり古い体質の病院でもあり、患者の話をちゃんと聴かない担当医師だった。ので、諦めて自ら病院を変えてリハビリに邁進した。
何回も溜まった血や水を針で抜いたりした。アレも又、かなり痛かったのを覚えている。
正直、普段は自宅で一人、涙を堪えながら身体と会話していた。出来うるストレッチを試みては休む、それを繰り返した。
寝ていても座っていても痛かった。連続した強い痛みは辛いものだ。一日中、度々姿勢を変えざるを得ず、熟睡出来ない日々が続いた。
少しづつ少しづつ室内で歩ける様に成り、1ヶ月後位だったか、怖々外に出て平らな道を歩き出した。歩きながら、涙が滲み出る痛みを感じていた。
初めは数十メートル歩くのに必死で。松葉杖を2本から1本にし、いつしかあまり使わずにゆっくり1キロ位は歩ける様に成った。
そうして医師アドバイスの2倍増し位?で負荷をかけた。
途中で弱い心が何度も隙間から湧き出してきた。そんな時は反面教師でしかない親を思い出して、離婚した後の暗黒時代を思い出して、"負け犬にはなりたくない"と本気で自分に言い聞かした。
そして約5ヶ月後には山仕事に復帰する事が叶ったのだった。
医師や施術師は驚いていた。自分でも信じられない位の復活だったと思う。
山に戻り、ふと邂逅した或る日を忘れない。一度だけポロポロと涙が溢れたのを覚えている。
誰にも見られる事の無い場所で、自分でも見えない何かと、少しだけだが会話した様な気がする。
現在では急斜面でも働ける様に筋力は戻ったが、但し加齢に依る総合的な体力は落ちる一方だったり。
併し脚の太さは未だに異なり、ストレッチやスクワット等の負荷は欠かせない。ついサボると、身体のバランスが崩れて他の何処かが必ずおかしくなってしまうから、何はさておき自分の一日は早朝ストレッチに始まり、就寝前ストレッチに終わる訳なのだ。
併し現在となって想う。
あの時"もしもああしていればー"
もしくは"こうしていなければー"
そんな"IF〜"は無い。在るのはこの足元の人生だけなんだよな…
真実、諦めなくて良かったとつくづく思うし。
何度も弱気に陥ったりしたけれど、逃げないで正解だったと思っている。
否、正解だったと思える様に日々を過ごしている…と言った方が的を得ているかも知れない。
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人生は本当に何が起こるか、一寸先は光なのか闇なのか…
50も後半の域に入り、周りでも色んな病や怪我や問題を見聞きする。
誰しもどんな御方であれ、長く生きて居て、何も起きない= 謂わば、丸っ切り"隕石に当たらない" なんて人生は無いんじゃないのかな… と個人的には思ったりする。
人生って、"判り切らないから生きる甲斐がある" とも言えるのかも知れないけれど、時には辛くて逃れたくなったり…
でも実は何処にも逃れられない。
アルコールや葉っぱに逃げて腑抜けに成ってしまった知人を何人も見てきたし。
暴力を奮ったり、何に対しても愚痴ばかり口にする形で、謂わば逃げている両親を見てきた。
たしかに、逃げて得策な事も有る。
けれど、逃げたら癖になったり、後により一層分厚く高い障壁になったりするものだから。
癖は怖い。選択癖は、底無し沼の様に自分を絡めとるから。
だからーと云う訳ではないが…
カミさんよ、君が頑張ってるのは誰よりも解っているつもりだ。
過去に辛い思いもしてきた君の人生を、私は多少なり理解はしているつもりだ。
しかし、君がこれまで大きな怪我も大病もして来なかったーってのは実は幸いな事なんだ。
いずれ怪我は治る。
以前と総て同じではなくなるかも知れないが、悲観しちゃあいけない。
きっと、考える時間を神様が用意したんだ。
考えながら、治しながら、又新しい日々を過ごす為なんだ。
過去ではなく、今から先の時間を。
味わいながら、生きようじゃないか!
そう想うんだ。