半月と硝子のブイ

so-net 『半月と硝子のブイ』の再開

『リバー・ランズ・スルー・イット』〜揺蕩う水音

劇場鑑賞以来、度々鑑賞。
いったい何度観なおしたのだろうか…もうワカラナイ。
この作品には個人的に重なる色々な想いがあり、たかがレビューなれどなかなか記せないでいた。

ブラピの不動人気への上昇時期であろうか、主人公たる彼の魅力も素晴らしいが、彼がこの作品を通して習得したフライフィッシングのキャスティング技術にも目を見張るものがある。


そして何よりもー
彼が水しぶき溢れる川面で釣竿を手にした時に放つ輝きを"陽"とすれば、対して酒場で賭博に溺れ放つ妖気は"陰"であり、その"振幅の魅力"には同性の自分をも正直とても魅せられた。

現在の一見"多様でありながら、併し実際は薄いかも知れない"世の中で、常に役者や作品を"データ的に比較するかに観る"のではなく、かの時期にかの役者や作品にリアルタイムで出逢えたこと…それは、本当に良かったナァと思える時がたまにある。否、よくある。

 

本作公開時はワタシが17歳から10年間暮らした東京を離れ、60Lリュックを背負ってアテの無い旅にフラついていた頃。
腐れ縁だった当時の彼女が先に劇場鑑賞した後、"必ず観た方がいい。きっと君が好きな映画だよ"と教えてくれたのだった。
"もう一度観てもいい"と言う彼女と、ある街で待ち合わて並んで観た記憶。
まさにその通りだった。
観終えた時、本作品はこの先の人生で何回も観るだろうナと感じる作品だった。

 

自分自身は、この様な美しい家庭には育っていないし、兄も居ない。
しかし故郷には美しい川が当時は流れていたし、とにかく釣りキチ◯◯の子供だった。
そして無謀さや内に秘めた熱く沸るかのヤルセナサを常に抱えて、それは多感な時期を過ごした。


幾つかの忘れられない思い出、怪我や事件の暗い原風景の向こうには、たしかに夕陽に川面が光ってもいる様な気がする。

でも故郷にはもう誰も住んでもない。
その風景もバブル期の大開発で、すっかり様変わりしてしまい、見る影も無いのが現実だ。

 

だからこの映画が切ない。
だから、この作品がとても美しく感じるし、泣けてくる。

 

 

この時期のブラピのオーラ、それを大自然の水量溢れる川面に立たせたレッドフォードの選択や手腕も素晴らしい!と言えよう。

弟のブラピと似てはいないが兄役の演技も良かったし。他、兄嫁や脇役含めて、みんな良かったと思う。
かの時代の米・モンタナ州辺りの価値観や時代の変化を根底に忍ばせながら、物語は押し付けがましくなく確かな脚本で或る洛陽に向け進んでゆくー

それは、誰にもどうしようも出来ない人生の流れ…
というか、其の者の"運命"…


仲が良かった兄にも、
牧師の父が仕える神にさえ、
勿論、観ている私たちの誰にも、決して止められない運命。
止められない川の激しく揺蕩う水音が、モンタナのブラックフット・リバーの美しい渓流や森の風景と共に、観た者の心の中にいつまでも残る。

まるで壁に架かるセピア色に褪せた過去の写真の様に…


何回観返してきた事だろうか。

きっとこれからも再び観ることもあるだろう。
一言で言えば、個人的には名作の部類に入れたいと思う。

 

私もまた川の流れの中にいる。

 

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隕石 転じて 強くあれ

今回のアップは先月の某日に病院待合室で書き始めた。帰宅して一息ついて読み返し、着地点はどう書いて良いものかと悩んだ次第…

直接に本人に言うにはタイミングもあろう。

関係が近いとつい馴れ合いから、すれ違う場合もあろう。だからかな、今を書き留めておこうかなと思ったのだ。


年始から色々重なり、実に疲れた春だった。

しかし、体調が悪くて萎れているのは私ではないのだ。

 

我がパートナーは病気や怪我等と無縁の女性だったが、去る正月1/2に、完全なる不注意からナント!手首の骨を折ってしまった。しかも利き手の右手首を、だ。彼女自身は介護職員という仕事柄、長期に渡り休まざるを得ず、勿論マイカーの運転も出来ず。
痛みのピークは過ぎ、一所懸命明るく振る舞ってはいるが、悔しさに打ちひしがれていると思われ…

 

1ヶ月も過ぎた頃、ギプスがそろそろ外せるか否かの診察だった。ところが其の時点で判ったのが、掌が完全に有る程度からは開かないし、親指に全く力が入らないのはおかしいと云う事態。
改めて手の専門の整形外科有する遠方の大病院に転院。

再び診察したのが実に今回だったという訳だ。


CTと診察で結局の処は腱も切れているのが判り、これから先の移植手術の様々な段取りを悩んでいる。

手術内容は3箇所を切り開き、動いている健常な鍵の一本を切り取り、動かない指の切れている鍵の両端と繋ぎ合わせるというもの。所要時間として3時間の予定らしい。

全身麻酔で及ぶ為、手術前日からの入院で術後経過を診るのもあり全部で3泊4日の日程だという。

なんとまあ…予想より大事であったから、二人で慌ててしまった。

 

私は送迎付き添い役だから待合時間はかなり有り、普段は既にあまり思い出さない過去等に想いを馳せたり…

病院は嫌いだ。悲しい経験の方が記憶に刻まれている。好きな人は居ないだろうけど。

大病院だけあって、ロビーから廊下からトイレから色んな患者にすれ違うから、普段は考えないことを考えてしまう。

 

 

さて。かく言う私自身の話なのだが…
年中が自然相手の仕事柄、どうしても怪我が多い。
中でも5年程前の怪我は生涯背負っていかなくてはならない程に後にまで響くものだった。


山の上部数十メートルの斜面が崩落した。その際ゆ落下してきた大岩の破片(人の頭位の塊)の幾つもが跳ねながら飛んできた。
運動神経はある筈の私は咄嗟に等高線に逃げ出したが、追いかける様に跳ねてきた岩の内の一つが見事に右脚に当たってしまった。
大腿四頭筋の一本を挫滅。殆ど右脚が動かなくなってしまった。

書いてみると信じられない話だが、こんな事が実際に起こるのが林業なのだ。
あまりの痛みに一時(5分位だろうか)気を失った。気付いて我に返ってから事態を理解した。そこからが地獄の痛みだった。時刻は夕方3:30位だったか。
離れて仕事していた同僚に見つけてもらうまでの30分位、車も入れない山の中で倒れたまま、私はあんなに内心動転してジタバタしたのは初めてだったかも知れない。
未経験の激しい痛みと、脳内を巡る"出口ナシみたいな感情"に、謂わば"絶え間ない冷や汗の地獄"を味わったのだった。

 

一時期は医師に"元の様には歩けない可能性"を告げられ、お先真っ暗な気持ちに苛まれたものだ。
併し、ライフワークの創作を激減させてまで(否、実際には数年間は新しい仕事を覚えて先輩に着いて行くだけで精一杯だった)過去の人生を大きく方向転換して会得した山仕事。
其処に戻る以外、結局は考えられなかった。

 

悩む中で、一度は他の職の情報を得る為に職安にも出向いたりしたのは事実だ。
だが、色んな差し引き鑑みても結論としては自分にとって"林業は或る意味で天職"なのだと知るに至ったのだった。
生活の糧を得る仕事で天職と感じた事は、10代後半からアルバイトや社員で幾多の職に就き働いてきて実に初めての感覚であった。
この仕事以外、家族との(否、勿論自身の) 生活を "前向きに維持する精神" は自らには産まれないだろうーと、怪我の療養の中でハッキリと考え至った訳だ。

 

あの時は "得る為には捨てる" 必要を明確に考えた。あの時、迷路から抜け出た様に凄くシンプルに定められたのは何故だろう…
皮肉な話だが、それこそ崖っぷち迄自分を追い込む必要があったのかも知れないナーと今になって思う。

 


当時、受診したのがかなり古い体質の病院でもあり、患者の話をちゃんと聴かない担当医師だった。ので、諦めて自ら病院を変えてリハビリに邁進した。
何回も溜まった血や水を針で抜いたりした。アレも又、かなり痛かったのを覚えている。

 

正直、普段は自宅で一人、涙を堪えながら身体と会話していた。出来うるストレッチを試みては休む、それを繰り返した。

寝ていても座っていても痛かった。連続した強い痛みは辛いものだ。一日中、度々姿勢を変えざるを得ず、熟睡出来ない日々が続いた。
少しづつ少しづつ室内で歩ける様に成り、1ヶ月後位だったか、怖々外に出て平らな道を歩き出した。歩きながら、涙が滲み出る痛みを感じていた。

初めは数十メートル歩くのに必死で。松葉杖を2本から1本にし、いつしかあまり使わずにゆっくり1キロ位は歩ける様に成った。
そうして医師アドバイスの2倍増し位?で負荷をかけた。

途中で弱い心が何度も隙間から湧き出してきた。そんな時は反面教師でしかない親を思い出して、離婚した後の暗黒時代を思い出して、"負け犬にはなりたくない"と本気で自分に言い聞かした。

そして約5ヶ月後には山仕事に復帰する事が叶ったのだった。


医師や施術師は驚いていた。自分でも信じられない位の復活だったと思う。
山に戻り、ふと邂逅した或る日を忘れない。一度だけポロポロと涙が溢れたのを覚えている。
誰にも見られる事の無い場所で、自分でも見えない何かと、少しだけだが会話した様な気がする。

 

現在では急斜面でも働ける様に筋力は戻ったが、但し加齢に依る総合的な体力は落ちる一方だったり。
併し脚の太さは未だに異なり、ストレッチやスクワット等の負荷は欠かせない。ついサボると、身体のバランスが崩れて他の何処かが必ずおかしくなってしまうから、何はさておき自分の一日は早朝ストレッチに始まり、就寝前ストレッチに終わる訳なのだ。

 

併し現在となって想う。

あの時"もしもああしていればー"

もしくは"こうしていなければー"

そんな"IF〜"は無い。在るのはこの足元の人生だけなんだよな…

真実、諦めなくて良かったとつくづく思うし。

何度も弱気に陥ったりしたけれど、逃げないで正解だったと思っている。

否、正解だったと思える様に日々を過ごしている…と言った方が的を得ているかも知れない。

 

 

 

 

人生は本当に何が起こるか、一寸先は光なのか闇なのか…

50も後半の域に入り、周りでも色んな病や怪我や問題を見聞きする。

誰しもどんな御方であれ、長く生きて居て、何も起きない= 謂わば、丸っ切り"隕石に当たらない" なんて人生は無いんじゃないのかな… と個人的には思ったりする。

 

人生って、"判り切らないから生きる甲斐がある" とも言えるのかも知れないけれど、時には辛くて逃れたくなったり…
でも実は何処にも逃れられない。

アルコールや葉っぱに逃げて腑抜けに成ってしまった知人を何人も見てきたし。

暴力を奮ったり、何に対しても愚痴ばかり口にする形で、謂わば逃げている両親を見てきた。

 

たしかに、逃げて得策な事も有る。

けれど、逃げたら癖になったり、後により一層分厚く高い障壁になったりするものだから。

癖は怖い。選択癖は、底無し沼の様に自分を絡めとるから。

 

だからーと云う訳ではないが…
カミさんよ、君が頑張ってるのは誰よりも解っているつもりだ。

過去に辛い思いもしてきた君の人生を、私は多少なり理解はしているつもりだ。


しかし、君がこれまで大きな怪我も大病もして来なかったーってのは実は幸いな事なんだ。

 

いずれ怪我は治る。

以前と総て同じではなくなるかも知れないが、悲観しちゃあいけない。


きっと、考える時間を神様が用意したんだ。

考えながら、治しながら、又新しい日々を過ごす為なんだ。
過去ではなく、今から先の時間を。

味わいながら、生きようじゃないか!

 

そう想うんだ。

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『六月の雨の夜、チルチルミチルは』〜ぐっどばい

友部正人に "6月の雨の夜、チルチルミチルは" という好きな歌がある。
美しく切ないながら楽しいメロディに乗せて、彼のどことなく音程のズレた様な朴訥な声が、哀しい…そう、悲しく"刹那過ぎる内容"を歌いあげる。

 

以前より幾つかのアップをYouTubeで観聴き可能だ。中でも個人的にはバックバンドがパスカルズの演奏バージョンが気に入っている。
彼らの謂わば"現代的なちんドン(ジンタ)演奏"は何処となく切なくて、チープで面白い。正直、予定調和から外れない我が国のポップスとやらより、遥かに素晴らしいと思う。
バンマスのロケット松が率いる彼ら彼女ら大所帯の奏でるサウンドには"或る昇華"の様な盛り上がりを感じざるを得ず。
そして、友部正人が唄うこの歌の内容にも、とても合っていると思う。


私は大抵この動画を一人で観る(聴く)のだが、なんてことはない。理由は単純だ。
内心、平常心で居られなくなる自分を知っているからである。言うなれば、表情や態度に全く感情を出さずに観る(聴く)自信が未だ無いからである。
それは、何十年と云う長い時間が過ぎようが変わらない、変われない、"奥底に在る確かな感覚"とでもいうか…

 

サビのクライマックスでは次の様に唄われる。


"知らないことで まんまるなのに
知ると 欠けてしまうものがある"


 

生きていると自分一人ではどうにも出来ない、直ぐにも後にも変えられない問題にぶつかる事がある。
大抵、その壁にはタイムリミットが有る。

時は、1分1秒と時は止まってはくれないから。


だから、その時にどうしようもなければ、後々になって一瞬立ち止まり振り返っても、もうどうにもならない場合がある。

 

時として、消えたものは現れない。
居なくなってしまった者は、二度と生き返ることがない。

 

飼っていた虫や魚や、家族だった犬や猫もだ。

喧嘩してから又仲良くなった友人もだ。

昔、叱ってくれた祖父や優しかった祖母も。

好き合った人も。

 

唯、見送ることしか出来ない。

"さよならだけが人生か"
そう書いたのは太宰だったか?


6月は我の誕生月だ。
大概、ジメジメと湿度が高く鬱陶しい。正直、好きな季節ではない。

そんな中での梅雨の晴れ間、空がなんとなく高く感じられる陽気の日がある。
紫陽花が綺麗だなとか、カタツムリが喜んでいるぞとか、カラスがやたら煩いなァ→子作りの時期なのかとか…毎年似た様な事を思ったりもして。

『六月の雨の夜、チルチルミチルは』

この歌を聴いた後の感覚、それは梅雨の最中に立ち止まり、不図遠くに想いを馳せる様な感覚とでも云うのか…

 

 

私はこれまで幾度も地団駄を踏み、幾度も抗いながら来たような気もするけれど、

或る大切な場面場面で結局は、唯、棒の様に突っ立って、見送ることしか出来なかった様な気がする。

さよならを、ちゃんと言えない場合も多かったかも知れない。

 

だから…

"見届ける" 為にも、懸命に生きようと思ったりする。

 

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『モーターサイクル・ダイヤリーズ』〜河を渡る

俺はどうする?
俺はゆくのか? それとも此処に留まるのか?
俺はどうする?

其の河を渡るのか? それとも渡らないのか? 

 

自問する為にだろうか…盤を購入してから回数は忘れた位に観た。

映像に満ちる風景がチャランゴの音色に導かれ、ヤケに沁みる。

あの頃、幼い娘にも観せたら不思議と飽きずに最後まで観ていたっけ。
おかげで娘は海外の田舎に一人旅する人間に成ってしまった。

あれからワタシもまた留まらずゆき、さすらったもんだ。
不味い河も渡りそうになり、海もを渡って島で働いたり、戦場の様な巨大建設現場で働いたり、かなり彷徨ったもんだ。
果て、現在ここに来て早14年だ。

 

ここに居て、相変わらず河を泳いでいる。
泳ぎながら、"見えると信じている"んだろうな…見えない対岸を未だ未だ探しているみたいだ。

モーターサイクルの前面に貼り付けられた小さな旗の様に、胸中では轟々とした風を感じている。

 

 

周りで最近、毎日立て続けに大変な事が起こる。
凹む。続くと流石に漢方系の胃薬が必要だ。
でも以前とは違い、"大丈夫だ、どうにかなるって" と思えるのは、何故だろう…

 

それはきっと、こんな映画や、どんなに忙しくても地味に続けている絵画創作や、大好きな音楽が聴けるからだ。
そして生活拠点を街から離したからだ。
人間より、獣や虫や、突然のスコールや、季節毎異なる風を、日々感じる仕事をしているからだ。

 

山の仕事は一言で辛い。
10代後半から、実に色んな仕事に関わってきたが、そりゃどんな仕事にも辛さはあった。でも、辛さにも色々ある。
山は一年中、1日の気温差が凄い。とにかく湿度との闘いが凄い。爽やかな1日など一年に数回感じられたらいい位だ。
そこに早朝から夕方まで居る。居るだけで大変なのだ。だから就業しても一年で辞める者が多い。
そして瞬発可能な筋力と、何より持久力が要る。相手が自然で広大だから、緻密な計画性と技術の工夫も求められる。
毎日の筋肉ストレッチや、休日にもある程度の筋トレ負荷は欠かせない。
摂取カロリーやエネルギーは常に意識していないとならない。でないとフラついて思わぬ怪我に繋がる。自身も何回も縫う怪我をしてきた。
これらは仕事をする現場が、平均斜度30〜50°なのだから、従事すると決めた以上は致し方無い事なのだ。

 

なのに賃金はかなり安い。
だから金は貯まらない。
なのに〜なーぜー♪身を粉にして日々脱水症状手前まで汗して働いているんだろ…?


それはこんな素敵な映画のせいもあるだろうと思う訳だ。
私なんて、この映画の主人公達とは異なり足元にも及ばないけれど、
決して一番目に金や名声を目指してではないし、一位や優勝やヒット作目指してじゃあないんだ。もう、そんなものに必死に足掻くのは辞めたんだ。

コトバにしたらば烏滸がましいけれど、謂わば川や海の為であり、一生会わないだろう他人様皆様や魚や獣や、自分が居なくなった先の未来の為だ。其処で未だ我が娘は生きるんだし。本気でそう考えて、社会の端っこで黙って担っている。
そして何よりも、それこそが自分自身の為なのだから。結局そこがワタシの原動力なのだから。


だから、ワタシは人生後半に来て息が出来る様になった気がする。

 

 

本作は自分にとっては、実際のストーリーや登場人物ではなくて、イメージや象徴として非常にエポックな(或る意味では)青春映画だ。

 

ちなみにグスターボ奏でる(たしかチャランゴの)サントラも素晴らしい♪
ジャケット写真も懐かしいECMみたいな風合いが素晴らしい。

 

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『ロストチルドレン』〜胡座の中、揺蕩う小舟

ジャン=ピエール・ジュネ監督作品の中で一番好きな物語り。そう、或る完成度の高い物語りである。

そして既に社会人と成って久しい我が娘が未だ幼い頃、ワタシの胡座の中でちょこんと座り、何回も一緒に観た忘れられない作品でもある。

娘がこの作品を観る時、必ずや"ガボっ"とか"ゲボ〜"とか笑いながら真似をしていたのを思い出す。

 

 

赤と苔緑と漆黒手前の群青色の闇の中で、素晴らしく凝りまくったセット内で物語は進む。

誠に純粋な怪力男と、世界で一番美しいのではないかとさえ感じてしまう美少女との絆が描かれる。

 

決して堅物な我が国では設定されない、そして何かと世知辛い昨今の世の中では設定しにくい、謂わばフリークス達が蠢く。

そして或る意味で淫らで怪しい演出。然しそれはポルノではなく、子供と一緒に鑑賞可能な世界なのだ。

実際は子供心を忘れがちな大人達に向けたお伽噺。或いは魔法がかった紙芝居の様な…

入り組んだセットの中で、主人公達と共にワタシ達観る側も、永遠に脱出出来ないかの迷路に嵌まり込んでゆく。

この美術感覚が肌に合わない者は置いてきぼりを喰らい、白けてしまうだろう。

 

あくまで三拍子の迷宮音楽。

徹底した退廃的な凝り方の美術。

演技を訓練した大人には誰一人として真似出来ないであろう、幼子達それぞれの活躍。

そして何より、『薔薇の名前』に於いても主人公達より強い印象を残す怪優ロン・パールマンのThe 快演!

そして一説に依れば、本作のみで映画界から離れたという伝説の美少女…

瞼を閉じれば今も直ぐ、暗い大海の上を揺蕩う小さなボートに、二人(正確にはゲップする赤ちゃん入れて三人かな)が乗っている絵が浮かんでくる。

 

 

この作品は或る表現をするならば端っこに在る。端っこで輝いている。

併しそれはデジタルな光ではない。あくまでアナログな、どこか温かく優しい光だ。

生涯に渡って時々観たくなるお伽話、己の一つのバロメーターでもある気がするのだった。

 

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『ミラーズクロッシング』〜森の小径に吹く風

この作品、好み過ぎてなかなか文が書けなかったのだった。過去何回観たか覚えてない。見てくれや表層事象ではなく、主人公ガブリエル・バーンの立ち位置や精神の流離いと咆哮というか…兎に角、コチラ好みの琴線真ん中をダーツで射抜いてくる。

 

"ミラーズクロッシング"とはその森、その土地の字名なのかも知れない。何回も鑑賞してきたが、ワタシは未だに調べようとはしてない。
けれど、複層的な自我や、各々の歩んできた道の交差ポイントみたいな意味として、とても素晴らしい題名だと感じられる。

 

 

もはや世界的に有名なコーエン兄弟のひねくれ加減やシュールな演出ははやくもコノあたりの作品に型どられてはいるが、この作品は一風何処かが異なる気がする。
本作品は禁酒法時代の古きギャング達の至極ニンゲン的な、否、唯の独りの男を中心とした愛憎劇としてこそ秀逸な脚本だと云えよう。

 

観る側が、激しいドンぱちシーンや説明的な大上段から構えた台詞を望むならば、そうは楽しめないかも知れない。
併しいつの時代であれ、どんな枠組みの中でどんな役割を担う立場であれ、腕力より知恵…そして図らずも情を潜ませた一人の中年の彷徨い(右往左往と云った方が正しいかしらん)を味わえる感覚が有るならば、きっと観終えた時には静かな満足が得られよう。

 

大好きな怪優タトゥーロも果てしなくどうしようもない男を名演してる。
芸達者なマーシャ・ゲイ・ハーデンもタトゥーロ姉役で与えられた役を見事にこなしている。名優アルバート・フィニーは弱味有りのボス役で、老いて尚も燻銀の輝きだ。
だが然し、肝心の主人公G.バーンはと云えば、まるで饒舌ではない。寡黙だ。其処が良いのだ。
しかも時に泣きっ面に蜂的に落魄れた姿を晒す。
彼が寡黙な分、観る側は彼の心の中や物語の行く末に想いを馳せるのだ。

外で、特にワタシが従事している第一次産業の様な仕事中にも、口から生まれた様な所謂お喋りが居たりする。その様な暇さえあれば口を開く輩は、兎角己の頭脳が切れると内心で自負していると感じたりする。

併し違うと思う。どちらかと云えば、いざという際に無責任な場合が多い。

つい、映画から話が逸れた。(苦笑&反省)

単にお喋りが嫌いだから、主人公の寡黙でありながら人間味溢れる渋い演技に痺れるのかも知れない…そう云う訳だ。


そう…本作等は、ながら美味いラム酒かストレートジンを味うかに観守るしかないだろう。

高い酒ばかりが決して美味い訳ではないのだから。
お子チャマにはワカラナイ味わいがこの作品には漂っている。

 

"ミラーズクロッシング"……
時過ぎて尚、ワタシは素敵な題名だと感じている。

 

 

己の中の森の小径。


吹く一陣の風に、軽く落ち葉が舞い上がる。


黒いハットがふわり、ふわり。


そして、コロコロと転がってゆく…

 

 

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『エレファントマン』〜後ろの向こうの方

当時、池袋で教育実習生と観た。
当方は生徒だったから奢られた。17歳の誕生日プレゼントだった。
五歳上の美術系女子大生H.S.姐さんはワタシには怪しく(妖しく?)艶かしく、Hな感覚でしか眼に映らずだった。
併し本作の強烈なインパクトには打ちのめされた。
館内で直ぐ隣りから漂う若い姐さんの匂いにも増して…
怪しく(怪しく?)て、恐ろしく。
艶かしく、湿っていて…
正直、興奮した。

何故なら、それまで知ってきた世界とは明らかに異質な世界が、暗い館内でスクリーンに映っていたのだからー

 

映画館を出て、路上テーブルの店でラーメンを食べながら彼女は言ったんだ。
"なんか一緒に観る映画じゃなかったネ〜?"
どうだった?と尋ねられたからワタシは
"(ストーリーには)驚いたけど、嫌いじゃない。"とか何とか答えた筈だ。
未だ未熟で自分のコトバを持たない若僧な己が恥ずかしかったーその感覚を覚えている。


あの日あの夜、彼女と観た本作に因ってワタシの中で何かが変わったのは確かだ。
言い換えたならば〜本作を彼女と観たあの夜から、我の中で何かが壊れ、何かが弾けたと思う。社会性を保った告発や或る啓示や記録的要素等といった解釈ではなく、謂わば表現としての初体験。因ってワタシの内側の何かが芽を噴いた夜だった。

謂わば真面目に勉学に勤しむ学生ではなく、"ROCKとJAZZと映画"と"セックスとアルコールと煙草"のメビウスの輪的日々のスタートを切ったのは…なんとリンチ作品に因って〜だったのだ。

今にして思えば、年上の彼女は見抜いたのかも知れない。本人も含め、ワタシに対しても確信犯だったとも感じる。

 

その後、彼女とは辛い別れを経験した。

その後、別れは何回も経験したけれど、初めての相手であった彼女との別れは生涯つきまとうかの…

青く赤く、苦く甘く、ずっとずっと遠去かり続けてはいるのに今この時もお腹の中に張り付いている様な、忘れられない思い出だ。

 

当時ワタシは未だD.リンチを知らない。監督名や脚本家等を意識する感覚もあまり無かっただろう。ひたすら其の表現の表出させ方にノックアウトされたまま過ごしていた。

以降、視聴対象の尺度や触覚が変化したのはたしかだ。

 

 

童貞喪失の記憶
或る時期迄のマザー・コンプレックス
陰や暗や虚の方へと
螺旋に惹かれる感覚

それらの源を辿れば
岩清水の初めの水滴は
山裾の虚構の毒家に落ち

その流れの少し先の滝壺には
池袋の蒸し暑い夜に
象男が鎮座している

 

 

前述は、現代の様にインターネット等が普及してない時代の話だ。
電車内で一部の会社員がどデカい携帯電話を受信機ごとショルダーバッグ式で下げていた時代の話だ。
ネット検索ではなく、自らのチョイスでもなく、出逢ったヒトとの関わりの内に流れから偶然に観た作品。
その一本が後の人生にずっとずっと、確かな色合いの"影を落とす"事があったりする。

それは善悪や明暗では分けれ(計ら)ない事だし、個人の経験の中に鎮座しているから先ず容易ではない。
作品の出来不出来や比較や評論はしないし関係ない。当時の自分が観て胸に刻まれ、唯そのままでいいと思っている。
或る時期までは"片付けよう""片付けなくては進めない"と抗っていたから、結局は楽しくはなかった気がする。
その事に気付いてワタシはきっと楽に成れたし、同時に或る"若さ"というものを失くしたのかも知れない…なんて思ったりもする。

 

自分にとって『エレファントマン』を観返す事は容易ではなく。
あの日以来、鑑賞していない。
リンチ作品であるか否かや、ストーリーの背景も(申し訳ない稚拙な表現に成るが)ワタシにはあまり関係無い。

 

 

その後20代後半に本州を放浪した際、九州高千穂の或る家に数宿数飯お世話になった時の話。

最後の夜だったか、元ヒッピーの奥様は笑顔で言われた。
"アナタはガンプの様な人だわ"


その時は"?"だったし、ワタシは突如の隕石落下発言には先ずは黙ってしまうタチだから…
でもずっと考えていた。納得出来ないなら、心の中では何と返したかったのか…?


"いいえ。
エレファントマンだと思います。"

だろうか…

 

 

そういえば…学生時代、国語の教科書に高村光太郎だったか或る詩に立ち止まった。
正確な記憶ではないかも知れないが、次の様な節だった気がする。

"ぼくの前に道は無い ぼくの後ろに道は出来る"

 

どうやら、我の"後ろに続いている道の向こうの方"には "エレファントマン" が静かに居る。

 

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